【ラグビー】スクラムは生きがい。曽根隆慎[京産大/PR]
京産大ラグビー部といえばスクラム。 大西健元監督(現・相談役)が育んできた文化は、今も脈々と流れている。 その意志を受け継ぐ一人が、昨季から背番号1を背負う曽根隆慎だ。 174センチ、104キロの4年生。セットプレーはもちろん、地上戦でもいぶし銀の活躍を見せている。 ラグビー人生の始まりは中学1年生からだった。 小学生の頃はサッカーに打ち込んでいたが、頭角を現せず。ただ当時から体格に恵まれ、友人の誘いもあり、石切中入学後にラグビー部の門を叩いた。 心から熱くなれるラグビーが、肌に合っていたという。 生まれ育った大阪府はラグビーの激戦区だ。花園出場権をかけ、毎年どこよりも高いレベルで鎬を削っている。 そんな強豪校ひしめく大阪で、曽根は花園に出場したことがなかった大産大附への進学を決めた。 「強豪に勝つことがカッコいいと思いました。ここで花園に出てみたいなと」 その壁は高かった。2年の途中から出場機会を得て、ケガを乗り越えながらスタメンの座を掴む。 しかし、高校最後の試合は予選準決勝で東海大仰星に12-35で敗れた。 「準備してきたことを出せたのに負けた悔しさがありました。けど、次のステージで頑張ろうとも思えました」 活躍を誓った大学は、進学先に京産大を選んだ。理由はやはり、スクラム。 中学時代はNO8も経験したが、高校からは左PR一筋。どの大学よりもスクラムにこだわり、時間をかけて磨いていく姿に憧れた。 入学後は、高校時代の「2~3倍」の回数を組むスクラム練習に食らいつく。 京産大では3番がオーバーバインドでHOと組むのが伝統。1番として、その有効性を身に染みて感じている。 「1番からしたら嫌ですね。力がグッとかかる感じがします」 スクラムでは自分が一番力を発揮できる姿勢を作ることが第一。加えて、対戦相手によって組み方が異なることから、その場で変化させる対応力も必要になる。 難しくて複雑だが、そこにが面白さを感じられた。 「スクラムは一つの競技くらい奥が深い。ラグビーの全部が大好きです」 入学から2年間は出番がなかった。当時の不動の1番だった野村三四郎(現・江東BS)。 ウエートではペアを組み、ストイックにトレーニングに励む姿を間近で見ていた。そんな尊敬する先輩の引退が、さらに努力するきっかけになった。 「その年のオフに田倉(政彦FWコーチ)さんがずっとトレーニングについてくださった。(スクラムの)姿勢も日頃から意識するようになって変わることができた実感があります」 3年時からスタメンに。関西リーグの全勝優勝と選手権4強に貢献した。 選手権準々決勝の早大戦では、スクラムでプレッシャーを与え続けたことが勝因になった。 逆に、敗れた準決勝・明大戦ではそこで優位に立てず、相手のペースで試合が進んだ。 やはり、京産大のアイデンティティはスクラム。そう実感した1年になった。 ラストシーズンにも、それを痛感させられた。全勝で迎えた第6節・関西学院大戦。思いもよらない結果となった。 序盤こそ京産大優勢で試合を進められたが、以降はセットプレーで後手に回り、ディフェンスも崩れて21-45と大敗を喫したのだ。 現部員は入学から関西リーグで負け知らず。敗戦のショックは大きく、試合後に涙を流す選手もいた。 「自分もここで負けるとは思っていなかった。そういう(甘い)気持ちを突かれた感じがします」 試合後の会見で廣瀬佳司監督が、「京産大らしさをもう一度高めていきたい」と話したように、自分たちの原点に立ち返ることが重要だ。 中でもスクラムは、悲願の日本一を果たすために必要不可欠なピースである。 「これからどんな相手と当たってもスクラムを押します。京産なので」 曽根にとってスクラムは、「自分の生きがい、役割」。チームの勝利のため、京産大のプライドを守るため、今日もまたスクラムを組み込む。 [藤田芽生(京産大アスレチック)]