「東と西、南と北の架け橋へ」地政学上の鍵を握るサウジアラビアが目指す「サウジ・ファースト」の論理
ソ連の影響力に対する重要な防波堤
両国の関係が築かれたのは、サウジアラビアが生まれたばかりの頃にさかのぼる。王国の創始者であり、国名の由来でもあるアブドゥルアジズ・イブン・サウード国王は30年にわたって戦争を指揮し、1932年にアラビア半島の大部分を統一した。 両国の関係は第2次大戦中に戦略的パートナーシップへと拡大し、冷戦期にはさらに発展した。 73年の第4次中東戦争でイスラエルを支援したアメリカにサウジアラビアが石油禁輸措置を取るなど大きな対立もあったが、それでもサウジアラビアは中東でソ連の影響力に対する重要な防波堤の役割を果たしてきた。 01年の米同時多発テロにサウジアラビアが関与したという疑惑(19人のハイジャック犯のうち15人がサウジアラビア国籍)でさえも両国関係の破綻にはつながらず、21世紀の対テロ戦争を通じて関係はさらに強固になった。 サウジアラビアは、中東全域でイランの影響力に対抗するアメリカの取り組みの中心だった。 【同盟国を増やすという選択】 世界有数の原油輸出国であり、メッカとメディナというイスラム教の2大聖地を抱えるサウジアラビアの特別な影響力から、アメリカは長く恩恵を受けている。サウジアラビアも地域的な紛争では、米国防総省の支援を受けてきた。だが近年は、両国の利害が分かれ始めている。 分裂はバイデン政権下で特に顕著になった。台頭する皇太子と親密な関係を築いた前任者のドナルド・トランプとは異なり、バイデンは強硬路線を取っている。 20年の大統領選では、サウジアラビアの反体制ジャーナリストだったジャマル・カショギが殺害された事件に絡んで、サウジアラビアを世界の「のけ者」にすると発言。 大統領就任の直後には、サウジアラビアがイエメン内戦に介入して民間人に犠牲が出ることを懸念し、攻撃的武器の販売を停止した。 バイデンは22年7月にサウジアラビアを訪れたが、関係修復にはほとんど役立たなかったようだ。サウジアラビアは主要産油国でつくるOPECプラスのほかの加盟国と共に、石油増産を求めるアメリカに真っ向から背いた。ウクライナに侵攻したロシアへの制裁によるエネルギー高騰のさなかだった。 バイデンへの冷遇とは対照的に、中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は22年12月、初の中国・アラブ諸国サミットをサウジアラビアで開き温かい歓迎を受けた。 その数カ月後、サウジアラビアは北京の仲介でイランと国交を回復し、中国とロシアが大きな影響力を持つ2つの多国間ブロックに参加する。上海協力機構とBRICSだ。