“マスコミ嫌い”中田英寿が残した「伝説」 不信感で驚きの行動…記者仰天「その手があったか」【コラム】
レジェンド中田英寿氏、現役時代の言動からパーソナリティ-を紐解く
日本サッカー界はこれまで数々の名プレーヤーを輩出してきた。日本代表や欧州クラブで輝かしい実績を残した中田英寿氏はその1人。ワールドカップ3大会に出場したレジェンドは早くから世界に目を向け、21歳でイタリア1部セリエAへの挑戦を決断。その後、ワールドクラスの選手へと成長を遂げた。 【写真】「本当に46歳?」 レジェンド中田英寿、衰え感じさせない筋肉質なスマート体型 2006年夏に29歳で現役を引退した「孤高の天才」は、一体どんな人物だったのか。「FOOTBALL ZONE」では改めて、中田氏が現役時代に示した言動を振り返り、秘めたるパーソナリティ-を紐解く。 ◇ ◇ ◇ 卓越したフィジカルとテクニックで日本を初のワールドカップ(W杯)に導いた、当時世界最高峰のセリエAで活躍して続く選手たちに道を開いた……。ピッチの中の中田英寿は、日本サッカーの歴史を変えた。ただ、ピッチ外での影響力もすごかった。マスコミを通さず、自らが発信者になるという新しいスタイル。日本のサッカー界、いやスポーツ界にとっても、衝撃的なことだった。 「何も話してくれません」。記者から泣きの電話が入る。試合後の取材エリアとして設けられているミックスゾーンを無言でスルー。何を聞いても目を合わすこともないという。デスクだった私は「話を聞いてこい」とは言うが、現場からは「無理です」。プロになった直後の「話好き」なイメージとは180度違った。 中田のマスコミ嫌いは、試合後の「攻撃に専念するために守備を犠牲にした」というコメントを切り取られ「守備を放棄した」と書かれたことが発端だと言われる。大きな原因だったのかもしれないが、それだけだとは思えない。もともとメディアに対する不信感があり、それが募っての行動なのだろう。 自戒を込めて振り返れば、確かに当時のサッカー取材には無茶な部分があったようにも思う。Jリーグブームは落ち着いたとはいえ、初のW杯出場に向けて日本代表ブームが訪れていた。代表選手の言動は、どんな小さなことでも原稿になった。人気も実力もある中田ならなおさら。コメントの中から一部を切り取り、無理にセンセーショナルな原稿に仕立てることもあったのではと反省する。 もちろん、しっかりとした取材は必要だし、正確性はさらに大切だ。それでも、ギリギリを「攻めた」報道もあった。言い訳がましいと思われるかもしれないが、根底にはサッカーを盛り上げたいという思いがある。専門誌と違って、新聞のように不特定多数を相手にするマスコミには、サッカーに関心がない層の興味を引くことも重要だった。ただ、的を外した原稿が選手やクラブ、関係者から大目玉を食らうことも決して少なくはなかった。 マスコミの報道に身勝手な部分があったのは否めない。ただ「選手の声を多くの人に届ける」唯一の方法が新聞やテレビだったのは確か。実際「取材拒否」にあってもわずかな時間で関係は修復された。選手やクラブにとって、ファンとつながる、一般に発信する術がマスコミしかなかったからだ。スポーツの現場とマスコミには、そんな関係性があった。今にして思えばかなり傲慢にも思えるが「そのうち、話してくれるようになるだろう」ぐらいに考えていた。