依然打ち手は町に帰れず…“名舟に住む男衆”だけが打つことのできる太鼓 「御陣乗太鼓」の今後は?
北陸放送
能登で400年以上も受け継がれてきた御陣乗太鼓。およそ450年前、上杉謙信の軍勢が能登を攻め込んだ際、村人が鬼や亡霊の面をつけ海藻の髪を振り乱しながら太鼓を打ち鳴らし、上杉軍を追い返したのが始まりとされています。太鼓を打つことが許されているのは輪島市名舟町に住む男衆ですが、今回の地震で被災し全員が市外に避難しています。打ち手の男衆はさまざまな葛藤を抱えつつ、伝統の太鼓・響きを守る決意を新たにしていました。 【写真を見る】依然打ち手は町に帰れず…“名舟に住む男衆”だけが打つことのできる太鼓 「御陣乗太鼓」の今後は? 鬼気迫る表情で見得を切り、独特のテンポで打ち鳴らされる太鼓。3月3日、白山市の白山比咩神社で例年より2か月遅れとなる打ち初め式が行われました。地震後初の舞台。およそ20分の演奏を終えた保存会のメンバーには緊張の糸が緩み、笑みもこぼれます。 激しい演奏のあとは、生傷が絶えません。槌谷博之さんは御陣乗太鼓保存会の事務局長を務めています。 御陣乗太鼓保存会 槌谷博之さん 「足の感覚ない。指も感覚ないから」 「人が一杯なのにびっくりして…お客さんがいっぱいで」 石川県の無形文化財となっている御陣乗太鼓。輪島市名舟町に住む男だけが叩くことを許される、一子相伝の太鼓です。 御陣乗太鼓保存会 槌谷博之さん 「構えにしても極力自分の個性を出せというか、人の違うのをしろと。なかなか小さい頃からやっとらんと、たぶん無理だと思うんですよ。うちらの太鼓は」 ■海底の岩盤は露出し 海岸線の鳥居は消える こちらは地震の前、去年11月ごろの名舟町の映像。海岸線の鳥居が象徴的な、人口180人ほどの小さな港町です。 しかし地震後は海の底の岩盤が露わとなり、海岸線は沖のほうへ後退。跡形もなく崩れた鳥居は、揺れの大きさを物語っていました。 太鼓を保管していた集会所も天井が外れ、物やガラスが散乱。雨漏りなどで太鼓が傷み使えなくなる恐れもあり、場所を移す必要がありました。 「当時の水戸黄門の台本が出てきた。撮影で御陣乗太鼓が出てたそうです」「…必殺仕事人ですよ」「局が違うんないか?」