『ブギウギ』スズ子とりつ子の歌が届けた“赦し” 戦禍での歌の力を見事に描いた脚本力
スズ子(趣里)とりつ子(菊地凛子)が別々に体感した“うた”の力
もう一つ、印象的だったのが富山の旅館の女中とスズ子の出会いである。女中はスズ子の弟・六郎(黒崎煌代)と同じ南方で戦死した夫の死に対して、泣くことができなかった。まるで自分の気持ちに正直にいることが、感情を持つことまでもが“贅沢”であると、自分よりも悲惨な状況で戦地に赴く隊員や国家に対して恥じるかのように。そんな彼女だからこそ、スズ子は自分の歌を、「大空の弟」を聞かせなければいけないと感じたのだ。あのとき、歌を通して六郎の死にようやく向き合い、気持ちに正直になってちゃんと悲しめたスズ子。彼女の悲しみは、同じ悲しみを持つ者に寄り添う力となって、歌の中で光っていく。そして女中は彼女の歌を聴きながら、“正気”を取り戻して夫を思い出し、涙を流すことができた。 これだけなら、“うた”の持つ力がポジティブなもので収まるのに、それにとどまらないのがやはり『ブギウギ』のすごいところだ。一方で描かれたりつ子の鹿児島海軍基地の慰問公演が、より一層「戦禍における歌」について考えさせられるエピソードだった。 「軍歌は性に合わない」と一蹴するも、自分を見て興奮する特攻隊員たちを想い、彼らのリクエスト曲を歌うことにしたりつ子。そのリクエスト曲は、自分が歌いたくても歌うことを規制されている、想いのこもった「別れのブルース」だった。恋の別れの歌のはずなのに、目の前にいる特攻隊員たちが聞くことによって、今生との別れを歌う曲に聞こえる悲壮感。聴きながら涙を流し、曲が終わると「良い死に土産になります」「覚悟はできました」と口々に叫ぶ隊員たちにりつ子は耐えられなかった。人に希望を、生きる糧を与えるはずの歌が、“正気”どころか笑顔で死を受け入れる力を与えてしまった。しかし、彼らにとっては癒しであると同時に、女中と同じように我慢していた“泣くこと”を赦された瞬間でもあったのだ。 「贅沢は敵だ」 そんなスローガンが謳われたかつての日本で、贅沢とされたエンタメ。しかし自分の心に正直でいさせ、久しぶりに大切な自分の想いを思い出せてくれる“うた”は、どこまで規制が進んでも、どんな形であろうと誰かが必ず必要としていたものなのだと、『ブギウギ』は力強く描き切った。
ANAIS(アナイス)