【プレイバック’04】『K-1』に転身したばかりの曙&ボブ・サップの『世紀の一戦』前の下馬評
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年1月2日号掲載の「曙 K-1挑戦でやっぱり不安な『ヒザの古傷』と『猫パンチ』」をお届けする。 【拳を前に突き出し……】すごい……闘志をあらわにして相手を睨みつける曙 ’90年代に若貴の好敵手として活躍した元横綱・曙(当時34)は、’03年11月6日に突如としてK-1への参戦を表明した。さらに12月31日のデビュー戦の相手が当時大人気だったボブ・サップであることまで発表されて、曙には連日メディアからの取材が殺到、横綱だったとき以上の注目が集まっていた。当時のトレーニング風景などを本誌は取材していた。 ◆1ヵ月ですっかり格闘家らしくなった 《とにかく自信満々なんである。 「血は美味しいね」 「あまり大きなことはいえませんが、(大晦日は)おっきな花火があがるでしょう」 「 サップを殺す!」 「次はタイソンと闘りたい」 雑誌、テレビ、イベントとさまざまな場に茶髪、ヒゲ面で現れてリップサービスの嵐。K-1参戦表明から1ヵ月、元横綱・曙はすっかり〝らしく〟なった。12月1日のボブ・サップ戦はアメリカで大ブレイクした『50CENT』のラップにのって入場するという。》 曙は連日ハードなトレーニングに励んでいたようだ。だが、引退から3年のブランクに加えて慣れないキックボクシングへの挑戦に準備不足の感は拭えなかった。さらに〝過去の古傷〟の心配もあった。記事では次のように書いている。 《写真は公開スパーのときのものだが、つい微笑んでしまうのは本誌だけだろうか。このジムには一般の会員もおり、練習中、「そんなヘナチョコパンチで大丈夫なの?」とオバちゃんにヤジられる場面もあった。 格闘技専門誌記者も心配する。 「曙が両ヒザに爆弾を抱えているのは周知の事実。特に左の半月板損傷は治癒しておらず、一回倒れたら一人じゃ立ち上がれなかったはず。本人は『相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢はツラかったけど、立ち技なら大丈夫』なんて言ってますけどね」》 コーチには大柄な選手の指導には定評があるスティーブ・カラコダ氏がついて、顔面を守るクロスガードを伝授していたという。顔さえ守ればボディーは肉の鎧があるから大丈夫だという目算だったが、11月27日に行われたフランソワ・ボタとのスパーリングでは簡単に攻略されて、顔面を血まみれにされていた。 本誌が取材した複数の関係者のコメントでは、あくまでサップ有利だが、重さで約70㎏勝る曙がプレッシャーをかけ続ければあるいは……、といった予想。果たして勝負の行方は──。 勝負の結果についてはご存じの方も多いだろう。この年の大晦日にナゴヤドームで行われた『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』で曙は第1ラウンド2分58秒、ボブ・サップの右ストレートを顔面に受けて失神KO。リングにうつ伏せに倒れこんでピクリとも動かないその姿に、レフェリーは途中でカウントをやめた。テレビ中継されていたこのシーンは、瞬間視聴率43%となり、裏でやっていた紅白を超えている。 実は’03年の大晦日には『NHK紅白歌合戦』の裏で民放の格闘技番組が3つも中継されていた。TBSが中継した『Dynamite!!』のほか、『PRIDE スペシャル 男祭り 2003』(フジテレビ系)、『イノキボンバイエ 2003 馬鹿になれ夢をもて』(日本テレビ系)だ。 この3番組では視聴率19.5%を獲得した『Dynamite!!』が圧勝だった。その中でも曙の見事なまでの負けっぷりは日本中が注視したのだった。 その後もK-1や総合格闘技では結果を出せなかった曙だが、’05年に転身したプロレスでは『全日本プロレス』や『ハッスル』などさまざまな団体の興行やイベントで活躍した。’15年には『RIZIN』でボブ・サップと再戦を果たし、判定負けしている。少しは雪辱も果たせたのだろうか。
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