国民が愛した永遠の悪童“寅さん” 絵に描いたような“ダメ大人”が日本人の心をつかんで離さないワケ
下町の人情を題材にした不朽の名作『男はつらいよ』シリーズ。全50作にもなる国民的大人気タイトルは、2024年8月に1作目の公開から55周年を迎える。昭和レトロな雰囲気、豪華キャスト、温かな下町情緒など、同作の魅力はあまりに多い。だがその上でも語るに欠かせないのが、渥美清演じる主人公・フーテンの寅さんという男の存在だ。55周年という節目を前に、名作シリーズの背骨として国民に愛された“寅さん”の魂を振り返る。 【写真】寅さんの妹・さくらを演じた倍賞千恵子が語る「私の寅さんスペシャル」 ■寅さんという“無垢な悪童” 渥美清が演じたフーテンの寅さん。彼はご存じのとおり、“ダメな大人”の典型的な人物だ。そもそも“フーテン”という言葉からして、「定職につかず、ぶらぶらと放浪する人」という意味を持つ。寅さんもテキ屋稼業で全国を渡っており、ほとんどのシリーズが「寅さんが柴又に帰ってきた」ことに端を発する物語で描かれている。 寅さんといえば、“昔気質な性格の人情男”ということだけは多くの人が知る所ではないだろうか。だが実際に映画を見た人であれば、彼がそれだけの言葉で語り尽せるような“いい大人”ではないことはご存じだろう。 たとえば有名なところで、第11作目『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』のピアノ事件がある。寅さんの妹・さくらが夫である博と“息子にピアノを買ってあげたい”と話していたのを聞いた寅さん。ピアノなどとても買えないと渋る博を見かねた寅さんは「よし!」と家を飛び出し、おもちゃのピアノを買ってきたのだ。 「これでいいんだろ? 夫婦喧嘩するなよ?」と無垢な笑顔を向ける寅さんに、さくらは気遣い100%の戸惑い顔で感謝を述べる。そして博を含む周囲の全員が寅さんの厚意を汲んで「これが欲しかったのだ」と喜び、感謝の言葉を寅さんに贈った。 しかしあとからやってきた“タコ社長”こと桂梅太郎が「はははは、なんだおもちゃか」とまぜっかえしたところで、話は急転。恥をかかされたと勘違いした寅さんは、表情を固くして怒ってしまう。もちろんさくらや博は寅さんの心遣いを芯から喜んで感謝していたし、傷つけないために「ありがとう」「これが欲しかった」と伝えていた。だが寅さんは、怒りのままに口汚く2人を罵るのだ。 「てめえたち労働者が、ピアノ買えるわけねえじゃねえか」「あそこにピアノが入るのか?あの入口。棺桶だっておまえ、縦にしなきゃ入らないよ」「稼ぎが悪いから欲しくたって買えないってことなんだろ!?」。恥ずかしさから妹夫婦に罵声を浴びせた寅さんは、とら屋の主人・車竜造に「いけ」と言われて「ガキ扱いはごめんだよ」と出て行ってしまう。 こんな主人公がいるだろうか。「ガキ扱いはごめんだ」と言っておきながら、とても大人とは思えない振る舞い。こうした寅さんの“問題児”エピソードは、シリーズのなかで枚挙に暇がないほど。大人であれば当たり前に求められる配慮や我慢、本音と建前が寅さんにはないのだ。 こうした寅さんの人柄は、容易に衝突を生む。現代の我慢と礼節を重んじ、失敗を許さない社会においては、とてもそばにいてほしくないと思う人もいるだろう。だがそれでも『男はつらいよ』シリーズに寅さんという男は必要不可欠で、シリーズの要は寅さんだ。わがままで子どもっぽい性格の寅さんが人を惹きつけてやまない理由は、裏返してその“子どもっぽさ”にある。 ■遠縁の親戚を見るような“愛”があふれてくる 寅さんという男は感情が先走って行動するし、惚れっぽくて懲りない。リマスターやアフターストーリーを描いた2作を除く寅さんの物語を描いた48作のうち、寅さんが惚れた“マドンナ”の人数は40人を超える。そしてその全員への恋が、実を結ばずに終わりを迎えているのだ。 だがそんな彼の恋が良いところまでいく理由、そして周りからの応援を受けられる理由は“無垢な人間性”にある。彼は我慢できずに突飛な行動を取るなど、どうしようもない一面も多い。それでも人情に厚く、スパッと気持ちのいい気風の良さ、言葉と表情の端々からにじみ出る愛情が人を惹きつける。 寅さんは基本的に、含蓄ある名言をこぼすキャラではない。だが独特の人生観からこぼれる言葉の数々は自然で、本当にいる遠縁のおじさんから聞いたような納得感を持っている。印象的なのは第39作『男はつらいよ 寅次郎物語』で、さくらの息子で甥の満男に「人間はなんのために生きてんのかなあ」と聞かれたシーンだ。 普通の名作であれば、ここで壮大なBGMを流し、寅さんに印象的なライティングを当て、ハッとさせられるような名言を打つだろう。しかし寅さんは、「難しいことを聞くなあ…うーん、なんていうかなあ…。ほら、『あぁ生まれてきてよかったなあ』ってことが何べんかあるじゃない、ね? そのために人間、生きてんじゃねえのか?」と言う。 BGMは駅前の雑踏で、言葉を聞いた満男の反応も「ふーん…」と薄い。せりふ回しから演出までどこを切っても普通の伯父と甥の会話だが、その言葉はよく聞くととても考えさせられるフレーズだ。 子どもが聞いても「ふーん」という言葉しか返せない、だが大人になってから徐々に沁みてくる温かい言葉。大きなことを成さずとも、浮き沈みがあってもいい。“何べんかある”喜びのために歩むだけで、生きる意味はある…そんな言葉がなにげなく出てくるところに、寅さんの大きな器と寛大な人生観が表れている。 寅さんはダメなところも、そして独自の目線から見える温かな世界も、包み隠さず表に出す。自分の勘違いだろうが恥ずかしければ怒ってごまかすし、大事にしたいという人にはその人が最大限幸せになれるように手を尽くすのだ。 どこまでも素の人間。そんな寅さんを見ていると、いつしかふと心のなかで「まったく、寅さんったら」という言葉が浮かんでくる。寅さんがすれ違いから口喧嘩をしたとき、大人げなく怒りをあらわにしたとき、マドンナの幸せを願って自ら身を引くとき…そうした寅さんの所作を「仕方ない人だなあ」と許してしまう。 あたかも実際の身内へそうするように、ダメなところも含めて愛してしまうのだ。 ■“現実感”という武器 なぜ、ダメな大人である寅さんを愛してしまうのか。それは『男はつらいよ』シリーズに共通する特徴の1つとして挙げられる“リアル感”が関係してくるだろう。たとえば同シリーズには名言があちこちで登場するのに、そこを“ハイライト”にしない。同作で描かれているのはあくまで下町のダメな大人・寅さんの日常であって、人を教え導く大人物ではないからだ。 雑踏のなかで、何気ないライトで、普段通りのカメラワークに添えられる名言と名シーン。下町のどこかにいるおじさんとその関係者を描くにあたって、派手な演出はいらない。それでも心に残るワンカットが多いのは、自らの心が寅さんの世界に入り込んでいるからなのだろう。 下町という舞台に、欠点がハッキリと目立つ人柄、そして人生のどこかで心に浮かんでくる優しい言動。“ムービースター”ではなく“どこかにいそうなおじさん”像は、あたかも身内のダメな親戚を見ているかのような親近感を生む。最初は「ダメな大人だなあ」と呆れていたのに、回を重ねていくと「まったく寅さんったら」なんて許してしまうようになる。 同シリーズが映画化する前、テレビドラマ版が「ハブに噛まれた寅さんの死」で終わった際はかなりの抗議が殺到したという有名な話も。大好きなスターが物語のなかで有終の美を飾ったのならいざ知らず、身内があっけなく死んだとしたらどうなるか。寅さんがいかに人々のなかで“実在”していたのかがわかるエピソードだ。 日本人の心に実在する寅さんの物語。衛星劇場では『「男はつらいよ」公開55周年記念特集』として、山田洋次監督、倍賞千恵子、前田吟といった『男はつらいよ』シリーズのコアメンバーが作品を語りつくす特別番組「私の寅さんスペシャル」を放送する。そのほか、『男はつらいよ』シリーズから『男はつらいよ 寅次郎の告白』、『男はつらいよ 寅次郎の青春』、『男はつらいよ 寅次郎の縁談』、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』も放送。記念すべき節目の年、国民が愛した寅さんの物語を振り返るいい機会といえるかもしれない。