最強の美ボディギャルダンサー集団・CYBERJAPAN DANCERS、KANAE&KAZUE姉妹の初グラビアの記憶「普段がビキニだから、手ブラくらいやらなきゃと思って(笑)」
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はギャルダンサー集団・CYBERJAPAN DANCERSのKANAE&KAZUE姉妹による前編。 【写真】CYBERJAPAN DANCERSの水着グラビア CYBERJAPAN DANCERSは、クラブイベントなどにビキニ姿で登場し、キレのあるダンスパフォーマンスを披露するゴーゴーダンサーグループ。2000年代初頭からメンバーチェンジを繰り返し活動してきたが、今回紹介するKANAE、KAZUEのふたりはそれぞれ2010、2012年から活動する主要メンバーだ。 CJDは『週刊プレイボーイ』2016年30号で初グラビアを披露。カッコよさと愛らしさが絶妙に入り混じった美貌とセクシーな姿はたちまち話題に。その後、継続的に登場し、2019年には『週刊プレイボーイ』より写真集『BONJOUR!!』を発売し、ヒットとなった。 今回はデビューまでの経緯と初グラビアの思い出を語ってもらった。 ーーCYBERJAPAN DANCERS(以降:CJD)というと「最強のギャル集団」のイメージがありますけど、おふたりはいつからギャルに? KANAE 私は小4くらいかな。お母さんが元アパレル店員で、派手なものが好きだったんですよ。その影響で私も派手になり、ギャルにたどり着きました。あと安室ちゃんも好きだったし、厚底のブーツにミニスカを穿いて、学校へ通っていました(笑)。 KAZUE 私は小6からです。お姉ちゃんにはよくメイクしてもらったり、金髪にしてもらったりしていました。 ーーどちらも筋金入りというか......え? 小学生から金髪? KAZUE はい(笑)。おかげで人気でしたよ。 KANAE 髪にビールをかけると脱色するって話を先輩から聞いて、妹と一緒にやっていたんです(笑)。あと百均のメイク道具を使ったり、貯めたお金で縮毛矯正をしたり。 ーーそんなに派手で、学校では怒られなかったんですか? KANAE 小中はともかく、高校はヤバかったですね。まぁ、妹は真面目だったのでそれほどではないかも。私はギャルといってもヤンキー寄りだったので目をつけられていました。先生と怒鳴り合いをしたり、男の友達に椅子を投げてケンカしたり、やることも派手だったので(苦笑)。ーーそんなおふたりがCJDに入った経緯は? KANAE 私は19歳のとき地元・大阪から上京して、ギャル誌のモデルをやっていたんです。そのモデル仲間何人かがメンバーに入り、彼女たちからヘルプで出てもらえないか頼まれたのが最初。2006年です。当時のCJDって、いまみたいにパーティノリではなく、もっとクールなダンス集団だったんです。無駄に愛嬌を振り撒かず、ひたすら踊るみたいな。しかも堂々と肌を出して、美ボディを見せつける。それがめっちゃカッコよくて! 気づいたら自分も所属していました(笑)。 ーーご自身が水着で人前に立つことに抵抗はなかったんですか? KANAE モデルのお仕事で水着を着ていましたからね。しかもCJDの水着って素材がキラキラしていたり、羽がついていたり、オシャレで派手なんです。抵抗どころか、絶対に着たいと思いました。 KAZUE 私はもともとシンガー志望で上京後、お姉ちゃんと同居しながらバーなどで歌っていたんです。である時、お姉ちゃんたちのショーを観に行ったら、ボス(CJDのプロデューサーでDJのMITOMI TOKOTO氏)から誘われました。でもそこまで派手なのは無理だと思って、最初は断ったんですよ。お姉ちゃんも乗り気じゃなかったし。 KANAE 妹はふわふわ系キャラだから合わないかなと思って。あと私だけ、身内がいるのも気まずいかなと思ったし。でも1年くらいして、本人がやりたいと言い出したんで、私も肚を決めました。 ーーKAZUEさんはなぜ翻意したんですか? KAZUE ボスがその後も熱心に誘ってくれたんです。しかも「スターになるよ」「姉妹でやれば絶対に目立つよ」とか気持ちが動く言葉をたくさんかけてくれて(笑)。最初は不安だらけでしたけど、周りのみんながメンバーだからって妹のようにフォローしてくれて。おかげで臆せずに頑張れました。あと私も少しモデルをやっていたので水着は大丈夫でしたね。