あのアメリカ領事も舌鼓を打った!…江戸っ子たちが片道10km歩いてでも食べたかった川崎の逸品「奈良茶飯」とは
日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。 その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。 『時代小説で旅する東海道五十三次』 連載第3回 『1000人以上もの飯盛女が「春」を売る…現在のイメージとはかけ離れた江戸時代の「品川」が面白い! 』より続く
第2宿・川崎
『宝引の辰捕者帳 朱房の鷹』(泡坂妻夫) ☆宿場歩きガイド JR川崎駅下車。東口を出て大通りを南へ200mほど進むと砂子交差点。このあたりが宿場の中心だ。本陣2軒、脇本陣ナシ、旅籠72軒、宿内人口は2400人強。 多摩川(下流部は六郷川とも)河口近くの低地は大師河原と呼ばれていた。弘法大師ゆかりの真言宗・平間寺(川崎大師)があり、古くから江戸人士の信仰を集めていた。川崎は、この門前町として集落の体裁をととのえてきた。六郷の渡しを越えると、左手に「大師河原道」があり、2kmほど歩くと厄除けで有名な大師堂に着いた。 東海道の宿場として成立したのは元和9(1623)年。東海道ではもっとも遅い成立。宿場財政は厳しく、青息吐息の状態がつづいた。そのうえ、地震や火災が追い討ちをかけ、いよいよ困窮。その後、六郷川の渡船賃を伝馬費用に当てるなどして、財政は持ち直した。 平成25(2013)年10月、旧街道沿いに「東海道かわさき宿交流館」が開館した。入ってすぐ、川崎宿の茶屋「万年屋」を模したお休み処がある。2階では、当時の旅人の衣裳やカツラ姿で記念撮影できるコーナーが設けられている。背景は六郷の渡しになっていて、どっぷりと旅人気分にひたれる。また、往時の宿場を模型で再現。