ペドロ・アルモドバルが金獅子賞、『ジョーカー2』賛否両論 第81回ヴェネチア映画祭を総括
ペドロ・アルモドバルにとって初の長編英語作品となった『The Room Next Door(原題)』が、最高賞である金獅子賞に輝いた今年の第81回ヴェネチア国際映画祭。いうまでもなく現代ヨーロッパを代表する映画作家のひとりであるアルモドバルが、ヴェネチアでこうした賞に輝くのは『神経衰弱ぎりぎりの女たち』での脚本賞以来、実に36年ぶりのこととなる。といっても、ここ20年ほどはすっかりカンヌの常連監督だったのだから仕方あるまい。 【写真】第81回ヴェネチア映画祭での北野武監督 2019年のヴェネチアで長年の功績を讃えられて栄誉金獅子賞を受賞し、その流れで前作『パラレル・マザーズ』が2021年の同映画祭でオープニングを飾ったのが33年ぶりのヴェネチアコンペへの参加であった。そして今回が金獅子賞。キャリア40年以上の大ベテランは、これで初めて三大映画祭の最高賞を獲得。今後はカンヌではなくヴェネチアの常連となっていくのだろうか。 それはさておき、この『The Room Next Door』という作品はシーグリッド・ヌーネスの小説『What are you going through』を原作に、ティルダ・スウィントン演じる末期がんを患った主人公が安楽死を望み、ジュリアン・ムーア演じるかつての親友と対話する姿を描いた物語である。日本でも近年取り沙汰されることが増えたような気がする“安楽死”という課題。あくまでも終末期患者の尊厳を保つためのものであり、ヨーロッパではほとんどの国で延命措置を行わない消極的安楽死は合法化しており、一部の国――アルモドバルの母国スペインや、アメリカでも一部の州では医師によるほう助が伴う積極的安楽死が合法化されているのが現状だ。 映画における安楽死といえば、最近ではフランソワ・オゾンがソフィー・マルソーを主演に迎えた『すべてうまくいきますように』や、少し遡ればミヒャエル・ハネケの『愛、アムール』があったりアレハンドロ・アメナーバルの『海を飛ぶ夢』があったりと、やはりヨーロッパで主題に選ばれることが多いようにも見える。それでもクリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』のように、それぞれの国の社会で議論が進む段階で扱われる傾向にあり、日本でも『PLAN75』がその一例であろう。 閑話休題。『The Room Next Door』のこのキャスティングとテーマ、あえて英語作品で挑んだことと、近年のヴェネチアの位置付けを鑑みれば、第97回アカデミー賞の有力作となって然るべきと考えることができる。昨年のヴェネチアは、アメリカでの俳優組合のストライキの影響をもろに受ける格好となったわけだが、今年はそうした目に見えた“異例の事態”は起こらず。とはいえコンペティションのラインナップ的には、例年よりもアメリカ資本の大作が少なく、“アカデミー賞レースの幕開け”と呼ぶには少々心許ない感じであったことは否定できない。 もとより“幕開け”的意味合いが強くなっていたのは、賞レースへの参戦が噂される有力作がヴェネチアでワールドプレミアを飾り、トロントで北米プレミアを飾り評判を得て、北米公開へと進めていく流れが時期的にも作りやすいからであり、それが多少乱れているという点ではストライキの影響が残っているといえよう(一方で、カンヌに有力作が流れやすくなっていることもあるのだが)。そうした近年の基本ローテを踏んでヴェネチアコンペに臨んだ作品は、今年は『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』だけだったといってもいいだろう。 2019年に金獅子賞を受賞し、翌年のアカデミー賞でも善戦を繰り広げた『ジョーカー』の続編である『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。しかし蓋を開けてみれば無冠に終わり(そもそも2作連続の金獅子賞というのは前例がないこと)、狙い通りかどうかはわからないが、前作にも増しての賛否両論を巻き起こす結果に。前作の金獅子賞やアカデミー賞レースへの本格参戦が“異例”と扱われたことからもわかるように、この作品の勝負所はヴェネチアやアカデミー賞といった映画祭・映画賞ではなく興行的成功であることは明白だ。同作を配給するワーナーは、おそらくアカデミー賞では『デューン 砂の惑星PART2』のプッシュに力を入れてくる。作品の評判的にも、『ジョーカー2』は前作ほどのセンセーショナルは巻き起こさないだろうと推測できる。 では今年、ヴェネチアから来年のアカデミー賞に駒を進めることができそうな作品は他にあるのかと訊かれれば、先述の『The Room Next Door』以外に2作品ある。奇しくも北米では『The Room Next Door』と同じソニー・ピクチャーズ・クラシック配給となる、ウォルター・サレスの12年ぶりの長編劇映画『I’m Still Here(英題)』がその一本。軍事独裁政権下の1970年代初頭のブラジルを舞台にした家族の物語であり、今回のヴェネチアでは脚本賞を受賞。ポルトガル語作品ではあるが、脚色賞を中心に主要部門に絡んでくるポテンシャルを秘めている。 そしてもう一本は、銀獅子賞(監督賞)に輝いたブラディ・コーベットの『The Brutalist(原題)』というイギリス映画。エイドリアン・ブロディとフェリシティ・ジョーンズ、ガイ・ピアースの共演で、ホロコーストを生き延びたハンガリー生まれのユダヤ人建築家の30年を描く3時間半にも及ぶ巨編だ。ヴェネチアでの上映後の批評家の反応を見るに、絶賛評一色に染まっており、公式賞である銀獅子賞の他にも国立批評家連盟賞など4つの独立賞を受賞。5冠を達成している。 この『The Brutalist』は北米ではA24の配給で公開されることが決定しており、今回のコンペのラインナップではルカ・グァダニーノの『Queer(原題)』や、ニコール・キッドマンが女優賞を獲得した『Babygirl(原題)』もA24の北米配給となる。これらヴェネチア参加作品以外にも賞レースの有力と目されている作品があるA24は、どの作品をプッシュしていくのか。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が席巻した年のようが快進撃がまた起こるかもしれない。 ところで日本からは、今年はコンペの出品は一本もなく。それでもアウト・オブ・コンペティション部門に北野武の『Broken Rage』と、黒沢清の『Cloud クラウド』が出品されていた。前者はPrime Videoで世界配信される実験的な中編作品であり、後者は菅田将暉をはじめとした黒沢組初参加の若手キャストが多数出演した作品であり、しかもアカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品にも選ばれている。ヴェネチアで受賞経験のある2人の“巨匠”の作品がラインナップされ、またオリゾンティ部門には空音央の長編劇映画デビュー作『Happyend』もあり、大々的ではないにしろ日本勢はたしかに存在感を示したといえよう。
久保田和馬