「必ずいつかは死ぬ。だから精一杯生きよう」日航機墜落で犠牲の教諭 残した日誌が生徒の混乱を鎮めた #ニュースその後
命がけのメッセージ
事故から38年が過ぎ、当時から在籍する同僚はいなくなった。唯一残った井坂さん(64)も来年3月に定年を迎える。しかし、事故の記憶は生徒たちが引き継いでくれていると感じる。 「生きているということは必ずいつかは死ぬということです。それだから精一杯生きようと思うことが多いです。みんなも生きている今、1日1日の生を大切に思っ切り生きてください」 この言葉は、瀬良さんが事故前月に学級日誌に残していた。追悼文集にも収録されている。 当時の生徒で、親和女子高の教諭になった仲咲子さん(53)は「命がけのメッセージだ」と受けとめ、生徒に事故の教訓を残すことを自らの使命だと感じている。 あの夏、2学期になれば普通に会えると思っていた先生たちに突然会えなくなった。仲さんはこう振り返る。「思春期でキザだったから、先生先生、って行けなかった。でも、気付けば先生の背中を追うように教師になった」
当時の生徒たちが母校の先生に「これからもつないでくれる」
先生への憧れの気持ちを伝えたかった。その悔いが残るからこそ生徒たちにこう伝えている。 「日常の小さな別れを大切に、一生懸命生きて」 同じく生徒だった今村珠美さん(54)も、この学校の教諭になった。 「厳しくも温かく見守ってくれた水落先生が目標」という。月命日や新入生の校舎案内で、3人の祭壇のある部屋を案内するたび、こんな説明をしている。「人の命はいつ何が起きるか分からない。人とのつながりを大切にしてほしい」 卒業生の荒木青子さん(54)は、今では娘がこの学校に通っている。学校で事故について学んだ娘は「私たちが伝えていく」と話し、荒木さんに3人の人柄を尋ねてきたという。 今年の8月12日も学校に36人が集い、祭壇に花やビールを供え、3人に思いをはせた。慰霊登山はどうでしたか、あの頃あんなこともあったよね…話は尽きない。 「先生たちをしのぶ場が続いてきたのは卒業生たちの力。これからもつないでくれる」 井坂さんは教え子たちの様子を、頼もしそうに見つめた。 ※この記事は共同通信とYahoo!による共同連携企画です。
共同通信