〝解散〟や〝闘争〟を乗り越えて…『GLAY』メンバーが30年間も仲良しすぎる理由
1999年に解散が決定していた
4人組人気バンド『GLAY』が11月8日、大阪城ホールでデビュー30周年記念アリーナツアーの初日公演を開催。同ツアーでは10月にリリースした17枚目のアルバム『Back To The Pops』を引っさげ、全国8都市15公演を実施し、15万人を動員予定だという。 【美形ぶりがえぐい】すごい…ビジュアル系バンドのようだった平均年齢23歳の『GLAY』メンバー メモリアルイヤーのツアーをPRするため、ボーカルのTERU(53)やリーダーでギターのTAKURO(53)は精力的にメディアに出演しているが、そこで明かされているのがメンバーたちの仲の良さだ。 TAKUROは10月7日にお笑いコンビ『ニューヨーク』のYouTubeチャンネルにアップされた動画に出演。その動画でTAKUROは、《今日もTERUの義理のお母ちゃんの誕生日会行く》と、メンバーとの家族ぐるみの付き合いを明かしていた。さらに、デビュー時には皆で一緒にいるために《メンバー車は1台》と提案していたという。だが、《行程的に俺が一番朝早くピックアップされて、(帰る時)最後俺になるのね》という理由から2台となり、それが30年間続いているのだそうだ。ちなみに乗車のペアは行く場所によって変わるとのことだった。 だが、その一方で、実は〝解散危機〟もあったと、TAKUROは11月3日放送のテレビ朝日系『EIGHT―JAM』へのVTR出演で明かしている。 1999年の『GLAY』は『Winter,again』で日本レコード大賞と日本有線大賞を受賞するなど、大躍進を遂げたが、TAKUROは《バンドとしては疲れていた》と振り返っていた。さらに、純粋に音楽をやりたいメンバーたちとマネジメントサイドが対立し、《1999年の大みそかで解散は決定していた》と明かしたのだ。 しかし、正月にメンバー4人で家で新年会を開催した際に、TAKUROが《TERU、どうすんの?》と聞くと、TERUは《俺、もうちょっと歌いたいから、ソロアルバムを作る》と発言。 だがTERUはそのソロ活動にTAKURO、べースのJIRO(52)、ギターのHISASHI(52)も〝勧誘〟したために、TAKUROは結局、《これ、『GLAY』じゃねえか!!》と気づいたと話し、スタジオを笑わせていた。 ◆権利を勝ち取った〝闘い〟 「4人とも北海道・函館から上京し、下積みを経験して日本を代表するバンドにまで成長しました。多くの人気バンドでメンバー間の不仲や確執がささやかれる中で、『GLAY』はいまだに4人で飲むこともあるそうで、メンバーたちの関係が一番良好なバンドだといわれています。 そうなったのは、1999年の解散危機を乗り越えたこともありますが、メンバーたちが同じ方向を向いて自分たちの権利を勝ち取るための闘いに勝利したことも大きいでしょう」(音楽業界関係者) 『GLAY』は『HOWEVER』(1997年)を皮切りに’90年代後半にミリオンヒットを連発。同年には初のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』が480万枚売れ、日本を代表するバンドとなった。だが、意外にも当時の台所事情は苦しかったという。 「レコード会社のバックアップがなく野外ライブなどの費用が持ち出しだったり、権利関係の事情が複雑だったりで、実際にメンバーには相応の収入はなかったようです。 ’01年には当時の所属事務所だった『アンリミテッド・レコード(U社)』社と共同出版契約を結んでいた某音楽出版社が『GLAY』の著作権料をめぐって法廷で争い、U社が勝訴しました。しかし、それでメンバーの待遇が改善されることはなく、さらにU社が著作権印税の支払いを怠るようになったことから、’05年5月、ついにメンバーはU社に未払いとなっている印税の支払いなどを求め東京地裁に提訴したのです。 ’09年10月に東京地裁は、《’05年11月以降の楽曲の著作権はGLAYに属している》として、事務所が得ていた著作権印税など6億7000万円を『GLAY』側に支払う判決を下し、一件落着となりました」(同前) デビュー前から苦楽を共にし、大ブレイクしたあとも解散危機や権利闘争などの苦境を乗り越えて絆を深めたGLAYのメンバーたち。今後も35周年、40周年に向けて一緒に走り続けるのだろう。 ※「FRIDAYデジタル」では、皆様からの情報提供・タレコミをお待ちしています。下記の情報提供フォームまたは公式Xまで情報をお寄せ下さい。 情報提供フォーム:https://friday.kodansha.co.jp/tips 公式X:https://x.com/FRIDAY_twit
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