青山真治監督の追悼特集上映が小倉昭和館“こけら落とし”に 蓮實重彥、浅野忠信らコメントも
2022年3月に急逝した青山真治監督の追悼特集上映「帰れ北九州へーー青山真治の魂と軌跡 SHINJI AOYAMA RETROSPECTIVE 2023」が、新しい小倉昭和館の“こけら落とし”として12月14日から17日にかけて実施されることが決定した。 【写真】「東京公園」カット 12月13日から17日に北九州市で初となる国際映画祭「北九州国際映画祭(KIFF2023)」の期間中、青山監督の出身地である北九州市において開催される特別企画「帰れ北九州へーー青山真治の魂と軌跡 SHINJI AOYAMA RETROSPECTIVE 2023」。2022年8月に火災で焼失し、クラウドファンドで再建し12月にリスタートすることになった老舗映画館・小倉昭和館のこけら落としとなる。青山監督の故郷である北九州一帯を舞台にした北九州サーガ3部作とされる、長編映画デビュー作『Helpless』、カンヌで世界の絶賛を浴びた『EUREKA ユリイカ』、3部作の最終章『サッド ヴァケイション』、さらに芥川賞受賞作を原作とした『共喰い』、『東京公園』、最後の劇場公開作となった『空に住む』の6作品が上映される。 小倉昭和館は北九州国際映画祭のアンバサダーを務めるリリー・フランキーが発起人となり、クラウドファンディングなどを行って、現在もオープンに向けて準備が進められている。 小倉昭和館での特集上映は『共喰い』からスタート。かつての小倉昭和館には“光石研シート”があり、劇場とも深い繋がりがある、光石研の登壇が決定した。 特集上映期間中には、斉藤陽一郎、髙橋洋、俳優で青山監督の妻であるとよた真帆、プロデューサー・仙頭武則、佐藤公美も登壇。上映・登壇スケジュールなどの詳細は、北九州国際映画祭公式サイトに随時掲載、発表されていく。 さらに、青山組ゆかりの俳優陣、評論家より、本特集上映、そして青山監督に向けたコメントが到着。青山監督作品に数多く参加した北九州出身の光石、青山作品を語るには欠かせない浅野忠信と斉藤、映画作品のほか、青山監督が演出を務めた舞台にも出演した髙橋、青山監督と生前親交のあった映画評論家・蓮實重彥、上野昻志、映画監督・三宅唱がコメントを寄せた。 また、関連企画の「青山真治クロニクルズ展」「第6回北九州市民映画祭 青山真治監督特集」も同時期に開催される。 ■コメント ・蓮實重彥(映画評論家) その名前を聞くと年甲斐もなくつい涙ぐんでいまうが、いまはそんなことをいっている場合ではない。 その地で『Helpless』を撮ったことで始まった青山真治の作品群は、北九州でこそ見られねばなるまい。 ・上野昻志(映画評論家) 青山真治について、思い出すこと一つ。 青山真治から、里見甫(はじめ)に興味があると聞いたのは、いつのことだったか。酒を飲みながらの話だったが、それを聞いて、青山は、アヘン王と呼ばれ、それで得た膨大な資金を関東軍に提供していた男に注目したのかと眼を見張ると同時に、1930年代の満州や上海で暗躍した里見を、彼が描いたら、それこそ、一大歴史活劇になっただろうと夢想した。残念ながら、それには、彼の生なる時間が追いつかなかった。むろん、映画が生まれるには、様々な条件があるから、長生きしたからとて、出来るというわけではない。せめては、彼が残した作品を見直し、その先に、彼が創り得ただろう幻の映画を想像するしかない。 ・光石研(俳優) 青山さん、そっちはどおですか? 去年の春、松重豊さんからの突然のメールで知りました。あの時は頭が真っ白になってから、身体が動かんごとなった。 今更ながら、御礼を言わせて頂きます。 いやいや。いいちゃ、いいちゃやないんよ。 いいけ聞き。 俺は、貴方のお陰で、今俳優をやってこれとるんですよ。もちろん、お世話になった方はいっぱいおるけど、やっぱ青山さんの影響は計り知れんのよ。撮影現場での立ち振る舞いは、青山組に教わったし、スタッフとのお酒の飲み方も青山組に教わりました。難しい事は分からんけど、ちょっとだけ映画の見方も教えてもろた。今こうやって、仕事を貰えよるんも、青山さんのお陰やけ。ほんと。 昨今、俺ら新人高齢者が、昔話や自慢話はするんは老害っち言われるらしいけど、関係無いけね。俺は現場で、若い俳優捕まえて、青山さんの話しを聞かせるけ。酒場で、若いスタッフがおったら捕らえて、青山組の話しをとうとうと聞かせてやるけ。ほで、話し疲れたらそっち行くよ。待っといちゃり。 青山さん、本当に本当に感謝しとります。 ありがとうございました。 ・浅野忠信(俳優) 青山監督とは映画を作っていたというより何か面白い事ないかと色んな場所に行って探検していた感じに近かったように思います。 みんなで適当に歩いてご飯食べてお喋りして泊まって星とか見ながら笑ってたような思い出が楽しかったです。 そうやって一緒に遊んでくれる友達がいなくなるのは本当に辛いし新しい現場でも一人ぼっちになったような気になるのが寂しいです。 また監督に会いたいです。 ・斉藤陽一郎(俳優) 「小倉昭和館」が長い歴史と共に多くの方に愛されてきた劇場である事は存じ上げていましたが、今回、初めて伺う機会を頂き嬉しく思っています。それも沢山の青山監督作品と共に。『Helpless』は青山さんの劇場用映画の初監督作品であり、私が初めて出演した映画でもあります。色々と初めて尽くしの上映ですが、実は青山さん不在の中で北九州に行く事もまた、私にとっては初めてなのでした。北九州の地を踏む時は映画を作る時、そしてそこには必ず青山さんの姿がありました。気配を感じない日は無く、未だにその不在をどこか受け入れられずにいますが、「帰れ北九州へ」と呼ばれていますから、きっとどこかにいる筈です。寧ろそこら中にいると言ってもいいかも知れません。この街に色濃く残るその影をみなさんと共に追いかけるのを楽しみにしています。 ・髙橋洋(俳優) 「帰れ北九州へ―青山真治の魂と軌跡」というタイトルに、そうか青山さんの魂はそこへ還っていくのだなとジンときます。『Helpless』で初めて青山作品に触れた時から、まだ俳優志望の身でありながら勝手に将来の夢を決めつけ『東京公園』で現実となるまでの間、特に北九州サーガ三部作を数え切れないほど見返した僕にとって、その地で撮られた映画は特別です。初めてご一緒した後に、何気ない会話のなかでつい口を滑らせ「青山さんは北九州で撮ったあの映画みたいなのはもう撮らないんですか?」と聞いた僕に「みたいなのって何だよ?」とニヤリ笑った青山さんが妙に恐ろしかった。青山組とそこにいる人々が自分には一番の憧れでした。おかえりなさい、ですね。 ・三宅唱(映画監督) 今夏台湾で「かつて青山監督が台北にきた際、食事後には一人で長時間散歩に出掛けていました」という話を聞きました。「フランスでもめちゃ歩いてた」というのは以前にも聞いたことがあります。どこにいて、何をどう感じ、何を試し、どこに行こうとしていたのでしょうか? 単に「風景」なんてものを探していたのではない、とはわかっているつもりです。ともかく、スクリーンに映る土地と人間たちをみたあとには、劇場を出てそのまま北九州のまちを歩いてみたいと思います。
リアルサウンド編集部