ローラへのラブレター 空羽ファティマ
《新コラム始まりのご挨拶》改めましてこんにちは。子どもの時から自分は魔女だと信じ込んで生きてきた絵本作家の空羽(くう)ファティマです(笑)。“愛と命と希望がテーマ”の〈キャメルンシリーズ〉の本を出版し、その朗読コンサートを伝えることを16年間ライフワークにしてきた私なので、あの日の衝撃に心が折れた春馬さんのファンのためのグリーフケアとして4年近く三浦春馬特集の記事を書いてきました。連載の蝋燭(ろうそく)の炎が一時消えかかったのですが、さすが〈死を超えて生きる人〉は〈終了通知を超えて続く人〉! この新たなコラム〈いつも心に6Steps〉を通して、絵本作家の目で日々感じたことを書きたいと思ってます。それはトリビュートムービーの中でD・B・Bonds氏が「春馬のファンと彼を愛する人々にお伝えできることがあるとすれば、彼との思い出をいつまでも忘れない最善の方法は、キンキーブーツで語られていることを実行することかもしれません。 6つのステップを続けることを春馬も願っているでしょう」と話していたことで、この案を思いつきました。一度終わりにするとしたことで、私自身も読者のみなさんも、そこで一つ区切りがついたことは、良かったのだと今は思ってます。彼がいない寂しさは全く“変わらない”と思う人もいるようですが、私たちは昨日と今日では、同じ人間ではありません。体も1日歳を取り、心も考えも自分では気づかなくても何かしら変わっていますが、それは彼を忘れることとは違うのです。 変わることを恐れる気持ちは、誰にでもあり、私もそうです。本当に変化が大嫌いです。慣れ親しんだ家、住み慣れた土地で暮らしていたいし、大切な人たちやワンコとは、ずっと一緒に共にあって欲しいと、心の底から祈って願ってしまう、変化を恐れる弱い人間です。 でも、それでも全ては変わっていきます。そして《生きていくということは、変化を受け入れること》なのです。天はそれを私に教えるため、他の人よりたくさん大袈裟に変化のある波瀾万丈の人生にしているようで、この60年少しの人生の中で10回の引っ越しやら離婚があり、そこに加えて留学や35カ国への旅やら、出会いや別れやら、考えたらいったい幾つの人生を一人の体で経験してきたのだろうと我ながらびっくりします。 誰かと、何かと別れるたびに私は悲しくて寂しくて凹(へこ)んできました。でもだからこそ大好きな推しを亡くしたみなさんの深い深い喪失感に共感しただろうし、ローラの生の舞台を見なかったことを深く悔いました。男でも女でもなく性別を超えたローラに私は本気で恋をしたようでした。そしてそのローラと今も別れたくないからまたこうして、ローラを感じられるコラムを続けるのだと思います。 だからこれは、みなさんへのグリーフケアとしてのご奉仕でもあるけど、私自身のローラへのラブレターの続編でもあるみたいです。写経のように、彼への想いを毎月毎月書き続けてきて、今やっと“ローラへのラブレター”と呼んでいい自分になれた気がしています。人生を振り返ってみると《起きたことは、すべてその時の自分に必要なこと》ということを、心から信じられるようになれました。私に強さがあるならば、そこだと思います。 「人生を生きる力」として、唯一必要なものは、何か信じられないようなことが起きた時さえも、疑わずに、運命を恐れずにそれを受け入れられるかどうかなのだと思います。泣きながらでも、文句を言いながらでもそれに向かい合えるか。それこそが天への信頼なのでしょう。天を宇宙を神を、呼び名はなんでもいいのですが、それを信じられる人は何があっても、どんなに凹んでも、それでも前を向いて生きていけます。そう思えない人は「なんで私がこんな試練を受けなくてはならないの!?」と運命に裏切られたような不信感と怒りが出てきて、心はより一層苦しくなってしまいます。 それは病気よりも人の心と体を蝕(むしば)むのです。憎しみや不信感は、自分の心の一番やわらかく一番優しく一番温かなところを壊していくからです。嫌いな人、苦手な人もいるでしよう。でも人を恨むのは天に唾(つば)することになるから「どんな人も根はいい人だし、赤ちゃんの時から悪い人はいない」って思うとそれ以上憎まなくてすみます。愛が強い人は怒りも強いのも本当ですが、罪を憎んで人を憎まず。誰かをいじめる人はその人自身を愛せない人ですから。 人はみな、癒やされたい。みんな寂しい。みんな悲しい。誰でもです。だから、少しでもそんな温かな世界になれるように、このコラムを読んでくれる心ある人たちだけでも、そういう意識を持ってくれたら、と願います。 もしも、そんな世界だったならば、今も春馬さんは元気で笑って生きていただろうから。なぜ個人的に寄付をしたのかは気になりますが、彼を追い込んだのは誰か特定の人ではなく、冷たく無関心で無理解な社会のままにしている私たち一人ひとりの責任であると思ってます。 だから、私も変化をおそれず変えるべきところは変える勇気を持ちたいです。 ニーバーの祈りに「天よ、変わらないものと、変えるべきものを見分ける知恵をお与えください。そして、変えるべきものを変える勇気を私にください」という言葉があるように。 私は少年漫画は見ないので知らなかったのですが『スラムダンク』というバスケットボールの超人気漫画を映画化したものにキャメルンスタッフたちが熱くなっていました。ネットフリックスでやっていたから見てみたら、登場人物のうちファンの一番人気だというミッチーこと三井寿くんは、なんとお顔が若い頃の春馬さんに似ていると言われてるらしい! その彼がシュートを決める。ボールがネットを揺らす音。 「静かにしろい この音が……オレを甦らせる 何度でもよ」のセリフは胸が熱くなります。 三井くんの魅力は、挫折からの復活、不死鳥のような存在で〈死を超えて生きる人〉みたいだから、お顔が似てる三井くんが「オレを甦らせる」と言ってくれるのは、なんか嬉しい。「たかがそんなこと」なんだけどね。でも。なんてことない小さなことも、自然に春馬さんとつなげ、記事にするために春馬アンテナを立ててきた日々でした。 大地震から明けた2024年も半分以上過ぎましたが、相変わらず地球規模の災害、異常気象、戦争、減らない子どもの自殺、物価高など、本当に大変な世の中で、春馬さんのこと以外にも、みなさん一人ひとりにいろんな辛いこと、悲しかったことがあるだろうし、その中にはとてもこれは耐えられないと思ったことがあったと思います。 でも、今までで一番大変だった時のことを思い出してみてください。その時の絶望感。怒り。涙。やりきれなさ。無念さ。喪失感。虚しさ。哀しみ……。そのとてつもない黒い世界を乗り越えてきたあなたです。大丈夫です。それを上回ることは、多分もう起きません。そこまで大変なことは、そうは起きません。だから、これから何があっても「あの時を乗り越えてきた私なんだから大丈夫。あの時よりは楽だわ」と思うことができます。高い壁を越えた人ほどそう思えるはずです。自らの経験こそが、どんな立派な偉人の言葉より自分を支える力になります。 人生で最大の不幸と呼べる、我が子を亡くしたご遺族の方と接してきた私は、〈抱えきれないほどの大きすぎる哀しみを経験した人間が持つ圧倒される何か〉を感じてきました。それは強さとも、砕け散った心の残骸とも見えるのだけれど。もしそれが強さとしても、そんな辛いものは欲しくないと誰もが思うのだろうけれども、これ以上ないという底の底を見てしまった人間だけが持つ何か。誰もそこには入り込めない閉ざされた静寂の中にある確固とした動じなさ。硬くて冷たくて重い何か。言葉では言い表せない何か。音のない世界にすくっと立つ何かがそこにあり、それにはもう誰も何も言えなくなる。そういうものが、人によって絵画の中に、ダンスの中に、歌の中に、演奏の中に、言葉の中に、その佇(たたず)まいの中に、見える時が時にあります。先月の三浦春馬特集として、ラストの記事に書いたナイトダイバーはまさしくそれでした。あの時の彼はもう、死を意識して見ているものはこの世のものではなく、命の最後の灯を燃やした死神と、産神に捧げる刹那的で、美しい舞い。 彼が遺してくれたそういう類稀(たぐいまれ)な舞いや作品、舞台は、これからも私たちの宝です。彼の人生が30年でも100年でも、大きな意味ではもしかしたら何も変わらなかったのかもしれない。彼がやるべきことは、あの時間に皆、終わっていたのかもしれない。 もうすぐ7/18がやってきます。その日はこれからもみんなの心を痛くするだろうが、その痛みこそが私たちの覚え書きなのだろうと思います。今も私の左足には、帯状疱疹で神経が壊れた後遺症として痺れが残っている。でも、それが完全になくならないほうがいいと思っています。終わらぬ激痛に咽(むせ)び泣いた眠れぬ夜を私は忘れたくないのです。 絶望しながら心の隅を探ってほんの小さな希望にしがみついた、あの日の私の涙を覚えていたいのです。これからの人生を生きる道標として。7/18の衝撃もまた、彼という人の命の重みを感じた日だから。みんなで、それを受け止めたい。痛くても悲しくても辛くても、そこまでの衝撃を受けるほどに、あれは彼の命の重みだったのだから。 Accept yourself and you’ll accept others too. 自分(の感じた哀しみ)を受け入れれば他人(春馬くんの哀しみ)も受け入れられる。 そろそろ私たちは自らの哀しみの外に出よう。彼の哀しみ、この世の哀しみに目を向けよう。「残りの人生は、あとどのくらいか?」「これからの人生で何か大変なことが起きないか?」と、起きないかもしれない心配をするよりも、【心配の9割は、実際には起きないらしいから】その時間を世の中が少しでも温かくなるために何ができるかをみんなが考えたならば世界は変わっていくと信じる。小さなことでもいいから。 まずは、このコラムに少しだけうなずくだけでも。 空羽ファティマ