《阪神・淡路大震災を知らない世代(2)》「神戸、離れない…」加久ひなみ・ことみさん(25・22)
阪神・淡路大震災から30年、神戸に住む人はみな、今の神戸の街を「美しい」と表現する。 【画像】震災を知らない世代〜加久ひなみさん・ことみさん 街には活気があり、玄関口・三宮再開発も進行中。将来の姿を想像して夢をふくらませている。 この街が大好きな神戸っ子、加久ひなみさん(25)・ことみさん(22)姉妹は神戸市灘区で生まれ育った。2人はこれからもずっと、神戸に住み続けたいと思っている。 幼いころ楽しみにしていた、メリケンパークから眺める「みなと神戸海上花火大会」が忘れられない。六甲山から初日の出を拝んだり、地元のお祭り“だんじり”に参加したりと、神戸の風景の中で成長した。 また、北野町の異人館で開かれたピアノ発表会は、神戸らしさが詰まった忘れられない思い出だ。 震災から30年経った今、たくさんの家や建物が建ち並ぶが、幼い頃の記憶は、まだまた空き地が多かったこと。 思えば災害の爪痕だったが、当時は何もわからず、ただ夢中で遊び回っていた。 街の景色が変わりゆくのが楽しみな反面、故郷・神戸の景色が塗り替えられていくのは複雑な心境だ。 震災当時の写真と今の景色を比べると、街の成長や復興の軌跡を感じ、感慨深いが、しっかりと目に焼き付けなければ、次の世代に伝えることができない。 神戸・阪神間に住む子どもたちは小学生の頃から、毎年震災学習があり、語り部の話を聞く。 そして神戸の再生を願う、ふたつめの神戸市歌にもなった「しあわせ運べるように」を歌う。 断水が続いたり、道ががれきで埋もれて歩けなかったり、地震で命を落とすだけではなく、その後の火事や、病院に搬送できずに亡くなった人のことなど、さまざまな話を聞いてきた。 火の手が迫るなか、がれきに挟まれて動けないある母親が、子どもに「先に逃げなさい」と言った。子どもは「いやだ!」と泣きながら逃げた。衝撃を受けた話のひとつだ。 家族からも震災の話を聞いている。祖父母の家は灘区の商店街で米穀店を営んでいたが、震災で店舗は全壊し、自宅も火災の延焼で全焼した。 消防団に所属していた祖父は地震が起きてすぐ救助活動をはじめた。夜間パトロールをして、2〜3時間だけ商店街近くの詰所でたき火を囲みながら仮眠をしていた。 祖父はそうした生活を、地震から8日間続けた。父や祖母が身を寄せていた親戚の家に祖父が戻ったのは1月25日の朝だった。 地震発生後、初めてしっかりと睡眠を取った祖父は、いびきが聞こえなくなり、亡くなった。死因は心筋梗塞だった。公務災害と認定されたが、震災犠牲者として認められることはなかった。 家族が、「『もっと(祖父に)休んで』と強く言えばよかった」と後悔しながら話していたのを覚えている。 こうした話を聞くたびに、地震はとても恐ろしいものだと感じ、もし自分が遭遇したら、どうすれば良いのかと考えさせられる。 神戸では一年に一回、震災について考える機会を持つことができる。また、東日本大震災や熊本地震、能登半島地震も報道で知っている。南海トラフ巨大地震が来る可能性を考えると、「やはり心の準備と、神戸だからできる地震対策をしておかなければ」とは思うが、「やはり心の準備と、神戸だからできる地震対策をしておかなければ」とは思うが、2人にとって、震災は“どこか他人事で、現実味がない”のがもどかしい。 神戸には、街中やビルにさまざまな形で震災モニュメントが設置されている。中でも特に象徴的なのは、玄関口・三宮の東遊園地にある「慰霊と復興モニュメント」。 そこには、故人の生きた証(あかし)と慰霊の祈り、震災を経験した世代の記憶や、復興への願いが詰まっている。 姉・ひなみさんは、東遊園地で毎年開かれる「1.17のつどい」に参加したことがあるが、「追悼行事の場」という印象しか持てなかった。でも…。 犠牲者の名前が刻まれたモニュメントの銘板には祖父の名前も刻まれている。銘板を前に、両親は震災から何年経っても複雑な心境を抱えている。ほかの遺族も、それぞれが異なる震災経験を抱えていることが伝わってくる。「単なる追悼行事の場ではない」と、やるせない気持ちになった。 こうした経験から、姉・ひなみさんは、大学の卒業論文のテーマに震災を選んだ。タイトルは「震災の記憶を若者へ」。震災モニュメントをめぐり、何を継承し、どのように語り継ぐのか調査した。 そこでわかったことは、未経験者同士で伝え合うことは、やはり限界がある。「どう継承してくか正解は出ていない。自分が生きているうちは継承していくけど、そのあとは続かないだろう」という経験者の言葉に、今後の課題を感じた。 震災を知らない世代にとって大事なのは、あとに残った教訓だけでなく、震災を実際に体験した人たちの具体的な経験を知ることだと感じている。 その経験から何を学び、考え、行動に移すのか、2人は愛する神戸から離れず、考え続けたいと誓う。
ラジオ関西