500球の投げ込み「嫌だった」 1年目から“酷使”…悲鳴を上げた右肘「これでもう終わり」
契約交渉で野手転向の打診…「辞めるのを辞めたんです」
西鉄・尾崎は伊勢氏よりも2学年下で当時プロ2年目。投手登録ながら打撃センスも高かった。「覚えたてのスライダーを投げたら、曲がらなくてスーッと真ん中に入って、それを打たれた。あれでピッチャーはクビになりましたね。野手も少なかったし、もうピッチャーで出ることはなくなり、サードを守ったりするようになりました」。プロゴルファーに転向して大成功するジャンボ尾崎が伊勢氏の投手人生に引導を渡したのだ。 投手失格の烙印を押された伊勢氏は「これでもう終わり。契約の時に辞めますというつもりだった」という。ところが「辞めます」という前に球団から野手転向の打診があって、また流れが変わった。「『1年でも2年でもいいからとりあえず一生懸命、野手をやってみろ』と言われて、まぁ打つ方も好きだったし、1回やってみようとなった。それで辞めるのを辞めたんです」。プロ野球人生を終えかけたところからの“大逆転”だった。 しかも、この野手転向によって伊勢氏は近鉄のクリーンアップを打つなど飛躍していくのだから、大きなターニングポイントになった。そのきっかけでもあるのが平和台でジャンボに打たれた一発。「私がヤクルトのコーチの時だったかな、1度(ゴルフの)トーナメントにジャンボを応援しにいったことがあった。ジャンボは私のことを覚えていましたよ。『伊勢さん久しぶり』とか言われましたから」。伊勢氏にとって忘れられない人でもある。
山口真司 / Shinji Yamaguchi