「五輪には興味がない」「夢を後押しするのが夢」櫻井つぐみら五輪戦士育てた指導者・柳川美麿の指導哲学
育英大学レスリング部を強豪に押し上げ、女子フリースタイル57kg級の櫻井つぐみと同62kg級の元木咲良という2人のパリ五輪出場選手を育てた柳川美麿(よしまろ)は、いまレスリング界で一際脚光を浴びている指導者だ。自身もレスリング選手として中学卒業後に単身アメリカに留学した異色の経歴を持ち、帰国後は大学時代に国内2位まで上り詰めた。その後は指導者の道を歩み、周囲の著名な名コーチ・名監督から多くの学びを得て、現在に至る。オリンピックに出場する世界王者を輩出するまでに至ったその指導哲学をひも解く。 (取材・文・本文写真撮影=布施鋼治、トップ写真=森田直樹/アフロスポーツ)
世界王者・櫻井つぐみが見せた残り時間1秒の大逆転劇
残り時間わずか1秒での大逆転劇だった。「大舞台でも、こんなスリリングな勝負があるのか」と興奮せずにはいられなかった。 中国で行われたアジア大会・第2日(2023年10月5日)に行われた女子レスリング57kg級決勝戦。その決勝でヨン・インスム(北朝鮮)と対戦した櫻井つぐみはヨンの積極果敢なアタックの前に第1ピリオドからまさかの劣勢に立たされた。 最大のピンチは両足を持たれた状態から崩されフォール寸前まで追い込まれた場面だろう。フォールを回避するために、櫻井は長時間にわたりブリッジを続けるしかなかった。 耐え抜いた櫻井に勝利の女神は微笑んだ。第2ピリオドになると、攻め疲れたのかヨンは失速。一時はヨンが6-1と櫻井を大きく引き離していたが、土壇場で6-7と逆転され、2週間前に3年連続の世界王者になったばかりの櫻井に土をつけるというビッグアップセットを逸した。
「高校までは逆転できる選手ではなかった」
筆者はこの一戦を現場で見ていたが、勝負のクライマックスは櫻井のブリッジだったように思う。 育英大レスリング部で櫻井を指導する柳川美麿(よしまろ)監督は、櫻井が高3のときに出場した天皇杯で残り時間10秒を切ったところで逆転フォール負けした一戦を引き合いに出した。 「フォールさえ許さなければ、逆転できるチャンスはある。結局ピンチになってもブリッジしないのは普段からブリッジをしていないからです。普段の練習から『あっ、やられた』→フォールという流れに自然となっているので、とにかくめちゃくちゃブリッジさせています。ああいうふうにして普段から意地でもフォールさせない練習を積んでいるわけです」 世間でブリッジはレスリングの代名詞のように扱われているが、キッズレスリング以外では実戦で目にすることは稀だ。櫻井が絶体絶命のピンチから脱出することができたのは、普段の練習の賜物だった。 「ウチは押さえ込まれてフォールされそうになったら、逃げないといけないということをきちんと理解させている。逆に押さえられて逃げないんだったら、20分でも30分でも押さえさせる。単純な話ですよ」 櫻井の逆転勝ちはこのヨン戦だけではない。昨年7月には2カ月後の世界選手権代表の座を南條早映とプレーオフで争ったが、ラスト1秒でがぶり返しという大技を仕掛け、チャレンジ(大相撲でいう物言い)の末に逆転勝ちを収めるという勝負強いところを見せつけた。 柳川監督は「櫻井のお父さんも『高校までは逆転できる選手ではなかった』と言っていました」と証言する。 「他のスポーツ、例えばマラソンでも後半が大事ということをわかっていれば、選手たちは後半に頑張る。櫻井たちにも展開的に後半が勝負ということを植えつけさせています」