情熱で開けた扉。カルチャーは同じ。誕生した早大ラグビー部女子部が設立会見
ついに扉は開いた。 早稲田大学ラグビー蹴球部の女子部が4月1日に発足し、同18日には記者会見をおこなった。 東京・新宿区にある大隈会館の会見場には、男子部の恩藏直人部長、栁澤眞ダイレクター、横尾千里ヘッドコーチ(以下、HC)と部員たちが顔を揃えた。 早稲田ラグビーの新時代を築く者たちだ。 早大OGでもある横尾HCは在学時、ラグビー部の門を叩いたことがある。 しかし、当時は受け入れられなかった。マネージャーやスタッフとして入部、部員にはなれても、女子選手の受け入れ環境は整備されていなかった。その後の希望者の願いも叶わなかった。 しかし時代は変わった。 早大の学生数の39.6パーセントは女子で、部活動における学生のうち34.7パーセントを女子が占める。 そんな変化の中で、熱意ある女子たちが行動を起こしたから歴史が動いた。 会見の場で赤黒ジャージーを着た4人がキーパーソンだった。 早大に学ぶ3年生の千北佳英(ちぎた・かえ)、寺谷芽生(てらや・めい)、國谷蘭(くにたに・らん)の3人は、幼い頃から顔見知りだった。それぞれの道を歩んで成長し、大学入学後も、それぞれのクラブチームでプレーを続けていた。 しかし、せっかく同じ大学にいるのだ。「一緒に部活動としてやりたいね」と意見が一致した。 1学年下には、ラグビーを長く続けている岡本美優(みゆ)もいる。機運は高まり、4人の思いを早大ラグビー部OBに伝える機会を得た。 どうして女子はラグビー部に入ってプレーできないのか。 そんな素朴な疑問から始まり、自分たちの熱、夢を話した。ありったけの思いを吐露した。 彼女たちの熱を受け止めたのが、のちにダイレクターとなる栁澤氏だった。 同ダイレクターは逡巡した。 自分自身、早大ラグビー部のOBだ。2002年度の4年生。FBとしてプレーした。 自身は伝統のジャージーを着てピッチに立ったことがある。しかし、そのジャージーに憧れて入学、入部したのに、一度も袖を通せず卒業生していく何人もの仲間たちを知っている。 だから葛藤した。 女子選手たちの情熱は痛いほど感じる。しかし、部員はまだ少ない。両方の事実がある状況で、進むべき道を模索した。 男子部と何度も何度も話す機会を持った。結果、女子部誕生に漕ぎ着けた。 男子部が大切にしてきたカルチャーを女子部も大切にする。その点は重要視した。互いにリスペクトし合うことも求められる。 今回の決断について「本当に良かった」と言える時は、すぐには来ない。日々の取り組み方が問われる。 女子部の現在地を正しく理解しておきたい。 恩藏部長は男女両部の部長で、ラグビー蹴球部はひとつ。その枠の中で、別組織として活動する。ラグビー部の財源は、150人の部員を抱え、すでに日本一を目指す集団である男子部に集中される。 女子部は、上井草グラウンドでの練習機会やボール、用具の使用など、男子部のサポートを受ける。 女子部は学内の規定により、5年間、10人以上の部員で活動し、しっかりした戦績を残したのちに大学内で女子部門と認められることになる。 そのとき、男子ラグビー部と並列の女子部門として大学に認められる。 女子部の初代主将を務めるのは千北だ。5歳で世田谷ラグビースクールに入った。横河武蔵野アルテミ・スターズでプレーを続けていた。 主将は「2つの目標がある」と言った。 「一つは日本一を取ること。このメンバーと、この部活動で、新しい挑戦ができることにワクワクしています。もう一つは、社会に出た時に女性として活躍する人材を、このチームから輩出していきたいと思います」 早慶戦などビッグゲームを幼い頃から見てきたという主将は、「いまジャージーを着て重みを感じるのは、男子ラグビー部の歴史があるから」と感謝の気持ちを表現した。