星野源が不倫デマのイメージダウンから形勢逆転できた“彼ならでは”の理由。新垣結衣と完全否定
アーティストとしての偏差値が急上昇
こうした取り組みは一朝一夕でできるわけではありません。 「くだらないの中に」(2011年)の頃の星野と、「恋」(2016年ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」主題歌)の星野とでは、着ているものから表情、振る舞いに至るまで、劇的に変わっています。 予備校生のようなスウェット、ジーンズの姿で、ごくごく個人的な日常を吐露するフォークソングの作風が、きちんと仕立てたスーツに身を包み、世の中全体に政策提案をするようなフレージングで、シャープでタイトな日本人にしかできないソウルミュージックへと進化した。 簡単に言うと、アーティストとしてのグレードが急上昇したのです。たとえるなら、ファストファッションからハイブランドになった。音、ビジュアル、立ち居振る舞い、全ての面で目に見える形でステータスが上がったのですね。
エッセイの文庫化で下ネタ削除
文筆活動においても同様です。2014年のエッセイ集『蘇る変態』(マガジンハウス)の文庫版『よみがえる変態』(文春文庫 2019年)では、コンプライアンス的に厳しい下ネタが削除されています。 当時舞台で共演した女優に冗談っぽく、<どうだい木南さん、野波さんの女優のお二人、見てください。俺はいま勃っています。>となっていた箇所が、<稽古場の皆さん、ぜひ見てやってください。私の股間は元気ですよ!>とリライトされている。 また、<スポーツニュースの女性アナウンサーの脚を見て「ここ三日間で抱かれたか否かを予想」したりして>という一文は、全て削除されています。
常に認識をアップデートして、自分の行動に反映
このように過去をなかったかのようにする処置を批判するのは簡単なことです。しかし、キャリアのステージや社会的な立ち位置が変われば、言動、振る舞いに要求されるものは高くなります。若気の至りはそれとして、常に認識をアップデートして、自分の行動に反映していく。 そうした時代の変化を感じ取っていることを、わかりやすくサウンドや文章で具現化していく。社会の“今”を正確に把握していることを創作を通じて世の中に訴えているので、それが彼の発言そのものに説得力を与えているのですね。 人は変わるし、成長する。星野は、その当たり前で難しいことを身を以て証明してくれているのです。