『劇場版 SPY×FAMILY』で“超人”となったヨル 『ニキータ』など名作の女殺し屋と比較
「『SPY×FAMILY』映画化」との報を受け、懸念したことがひとつある。それは、「お子様向けの作品になってしまうのではないか」ということだ。 【写真】殺し以外は何も知らずに生きてきたヨルの家族旅行の様子 “冷戦状態の敵国同士のスパイと殺し屋が、(お互いの正体を知らずに)かりそめの夫婦を演じる。同じくかりそめの娘となるのは、とある組織が生み出した超能力少女である” コメディタッチなストーリー展開にごまかされがちだが、根底に流れるものは大変シリアスであり、主人公3人の生い立ちは、みな一様にハードだ。 特に妻を演じるヨル・フォージャーは、幼少期に両親を亡くし、幼い弟を育てるために殺し屋として生きてきた。 あまりに一般常識に疎く、特に27歳(初登場時)の女性としては男女関係のあれやこれやを知らなさ過ぎる。ギャグとして描かれてはいるが、これは彼女が“ただ殺しだけをやり、殺し以外は何も知らずに生きてきた”ということだ。 “女殺し屋もの”の名作に、リュック・ベッソン監督の『ニキータ』という作品がある。この作品の主人公・ニキータも、少女時代から殺し屋となるための訓練を受ける。と同時に、一流のレディとなるための教育も受けているのだ。育ちの悪い不良少女だったニキータが、美しい淑女として成長していく過程も、見どころのひとつである。 一方、ヨルさんを育てた「ガーデン」という組織は、ただただ愚直に殺人術「だけ」を教え込んでいたようだ。だから、効率の良い人体破壊法にはやたら詳しいが、男女間の機微などの知識については中学生レベルの(小学生レベルかもしれない)モンスターを作り出してしまった。 彼女は、標的を殺める際に一切の躊躇がない。従って彼女の“仕事”のシーンは、必然的に凄惨なものとなる。 それを、家族連れがメインターゲットとなるであろう劇場版で、どのように描くのか。 かくして劇場版は、原作やテレビ版に比べて、明らかに対象年齢を下げていた。 詳しくは劇場で確認してほしいのだが、「うんこの神様」のシーンに必要以上の尺を取っていたことからもわかる。基本的に原作やテレビ版における本作は、下ネタの匂いは極めて薄い。だがアニオリとなる劇場版に、これだけ長尺の「うんこネタ」をねじ込んだのはなぜか。 わざわざ説明するのも恥ずかしいが、子供はうんこが大好きだからである。それは加藤茶が「うんこちんちん」というギャグでブレイクした、約50年前から変わらない事実だ。 そして、大多数の子供は絶望的に集中力がない。110分という上映時間は、子供にとっては永遠とも言える時間だ。 だからこその、うんこネタである。ちょうど子供がダレてくるであろう中盤にねじ込んでくるところも、よく計算されている。 では、大人にとってはつまらない作品だったのか。とんでもない。大満足の作品だった。 それは、クライマックスにおいてヨルさんのバトルシーンを堪能できたからだ。 対峙するのは、軍情報部が開発したサイボーグ「タイプF」。鋼鉄板の皮膚で全身が覆われ、左手にはガトリングガンが装備されている。顔だけは人間だが、限りなくロボットだ。つまり“人外”である。 「苦戦の末に人外に勝ったのであれば、生身の人間を殺害した時のような残酷感は薄れるはず」 子供に向けての、そのような配慮があったのではないか。 だが今作のヨルさんも、十分に“人外”であった。 飛行中の飛行戦艦の機体上を走り回る上に、タイプFとの戦闘時の鉄骨から鉄骨への跳躍力は、人間の範疇を超えている。 テレビ版ではギリギリ人間枠に収まっていたヨルさんだが、この劇場版において、めでたく“超人枠”に昇格した。 その戦いは、『週刊少年ジャンプ』黄金期の名作たち、『ドラゴンボール』や『北斗の拳』を彷彿とさせるレベルであり、かつてそれらの作品に熱狂したお父さんたちの心をも、燃え上がらせたのではないか。 「フィジカルでかなわない相手に頭脳作戦で勝つ」という結末も、ジャンプ的バトル漫画の伝統を踏襲している。そのカギとなるのが“たまたま持っていたアイテム”という点も、昔のジャンプ漫画でよく見たパターンである。しかもそのアイテムは、「夫役のロイドさんからのプレゼント」なのだ。シャレている。 これが令和のジャンプ漫画かと。筆者が読んでいた平成(下手すりゃ昭和)のジャンプ漫画の伝統を踏襲しながらも、時代に合わせて洗練されたものとなっているではないか。 そのアイテムが何なのか。筆者の知る限り、かつて一度もバトル漫画などで武器として使用されたことのない小道具である。それを確認するだけでも、この作品を劇場で観る価値はある。 『ニキータ』を例に挙げたように、「女殺し屋もの」には名作が多い。中でも、この『SPY×FAMILY』と似た設定の作品に、『シュリ』と『Mr.&Mrs.スミス』がある。 どちらも主人公である女殺し屋は、素性を隠して敵国(もしくは敵対組織)の男性と恋に落ちる。 特に1999年の韓国映画である『シュリ』は、「北朝鮮の女性工作員と韓国の諜報員の恋」である。架空の国同士が舞台である『SPY×FAMILY』に比べても、さらにハードな設定だ。最終的には正体がバレ、それでもふたりは愛し合いながらも悲劇的な結末を迎える。終始、悲壮感に溢れている。 一方、2005年のアメリカ映画である『Mr.&Mrs.スミス』の場合、お互いの正体に気づいたふたりは、お互いの組織の掟に従い、壮絶な殺し合いを始める。延々殺し合いという名の夫婦喧嘩を繰り広げた末に、なぜか元鞘に納まり、今度は夫婦揃ってお互いの組織の壊滅に乗り出す。終始、脳天気感に溢れている(ブラピとアンジーだし)。 この2作品は共に似たような設定でありながら、作品全体の空気感も、演者のトーンも、その結末も、まるで真逆である。 そして、今作『SPY×FAMILY』は、この両作の要素を併せ持っている。 このかりそめの夫婦にも、いつかは終わりが来る。お互いの正体に気づいた時、ふたりの行く末は、喜劇か。それとも悲劇か。どちらにせよ、最後まで観届けたい。 できることなら、映画館のスクリーンで。
ハシマトシヒロ