<磐城・センバツへの軌跡>Play Hard/中 台風19号襲来 浸水の地域に元気を 東北8強にナイン喜び爆発 /福島
車窓からは、見たこともない風景が広がっていた。台風19号が襲来した直後の昨年10月13日夕。川からあふれた水が少しずつ引き始め、茶色に染まった街で住民の後片付けが始まっていた。岩手県営野球場(盛岡市)で翌日予定されている秋季東北大会2回戦に出場するため、磐城ナインを乗せたバスがいわき市内を走る。「しっかりと目に焼き付けておけ」。木村保監督は選手たちに呼び掛けた。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 12年ぶりの東北大会は最高の滑り出しだった。大会初日の11日、東海大山形(山形)戦は四回までスコアボードに0が並ぶ投手戦。五回に市毛雄大選手(2年)のスクイズで先制するなど、沖政宗投手(2年)の力投に打線が応え、終わってみれば14安打6点を挙げた。沖投手は相手打線を完封した。 台風に備え、大会は2日間順延した。磐城ナインは盛岡市からいったん、いわき市に帰還した。台風は12日夜から市内に大雨を降らせ、複数の河川が氾濫した。ナインは13日午前8時に学校に集合する予定だったが、時間になっても選手は誰も学校にたどり着けなかった。 保護者の車が水につかって動けなくなった選手がいた。1時間以上歩いて学校にたどり着いた選手もいた。全員が集まったのは午後2時ごろ。 ヘリコプターの音が響く空の下でミーティングが始まった。「野球をやっていていいのか」。不安を胸に抱える選手たちを前に、木村監督は「こんな状況だけど、自分たちにできることは野球しかない」と呼び掛けた。 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で、大半の選手が県内外で避難生活を経験した。台風に襲われたいわきの街を見て、当時の緊迫した状況を思い出す選手もいた。 それでも、木村監督はあえて街と市民の姿を、記憶にとどめるよう命じた。「地域の人たちへの思いをどう力に変えて戦い抜くのか」。選手たちの成長を信じていたからだ。 保護者たちも慌ただしく動いた。チーム内で大きな被害を受けた家庭はなかったが、市内は停電や断水が続いていた。それでも保護者たちは「部員が少ないから、保護者が行かないと応援する人がいなくなる」と13日夜、約20人が現地へ向けて出発した。 14日の能代松陽(秋田)戦は初回に先制点を許した後、なかなか点を奪えなかったが、七回に沖投手の2点二塁打で逆転。そのリードを沖投手が守り切った。「福島、いわきのために絶対に勝ちたいと思った」(沖投手)。8強進出に、ナインは抱き合い、喜びを爆発させた。 準々決勝で惜敗した後、いわき市へ戻り、浸水した地域で民家の泥出しや家具の運び出しなどを手伝った。「東北大会はよく頑張った」「ベスト8は立派」。住民からたくさんの言葉をかけられた。 岩間主将や清水真岳選手(2年)ら選手たちはみな、あの日のいわきの街を見て「野球で頑張って、地元の人たちを元気づけよう」と使命感を芽生えさせた。東北大会の成績を喜んでくれた人たちの言葉から、さらに地域への思いを強めている。甲子園での目標は「一度でも多く勝って、校歌を歌うこと」。支えてくれる地域の人たちの願いを背負い、夢舞台に挑む。