「こんなやつ」の発言が政局を変えることも 山崎拓元衆院議員が振り返る1992年当時の「政治とカネ」の問題
【永田健の時代ななめ読み】
1992年、東京佐川急便から金丸信自民党副総裁へのヤミ献金事件が発覚し、自民党は「政治とカネ」の問題で厳しい批判を受けていた。金丸氏は副総裁を辞任したが、当初の東京地検の処分が軽かったこともあり、有権者の怒りは収まらなかった。 金丸氏は自民党を牛耳っていた経世会(竹下派)のドンで、事実上首相さえ指名していた実力者。党内の誰も「猫の首に鈴」をつけられず、事態は膠着(こうちゃく)していた。 そんな時に一人の中堅議員が「金丸氏は議員辞職すべきだ」と報道陣の前で発言。すると金丸氏は「こんなやつにまで辞めろと言われるんじゃ俺もやっていられない」と言って議員辞職してしまう。 権力の中心部に突然空白が生じ、党は大混乱に陥る。翌年金丸氏は逮捕され、自民党から一部議員が脱党して政治改革を求める新党を結成。細川護熙・非自民連立政権誕生へとつながっていく。 政治は動くときは予想を超えて動く。そうしたダイナミズムの雰囲気を知りたいと思い、金丸氏に「こんなやつにまで…」と言われた人に話を聞きに行った。後に金丸氏と同じ自民党副総裁となった山崎拓元衆院議員である。 ◇ ◇ 「議員辞職を」発言で政局を動かしてやろうという意図は、山崎さんにあったのか。 「そんな狙いはなかった。政局になる予感はしていたが、それよりも世論を見ていて出た発言だった。このままでは自民党がつぶれてしまう、という危機感があった」 その頃山崎さんは2度目の入閣で建設相。それなりの立場だったはずが、金丸氏には「こんなやつ」だった。 「中曽根康弘政権の頃、私は中曽根派の若手としてしばしば金丸さんのところに連絡に行っていた。金丸さんにとっては『使い走り』のイメージだったのでしょう」 そう言って山崎さんは苦笑する。しかし「こんなやつ」の発言だからこそ、金丸氏は自分の力の衰えを知った。山崎さんも党の最高実力者を批判することにそれほどの怖さは感じなかったという。 ◇ ◇ 今また自民党は「政治とカネ」で世論の批判を浴びる。岸田文雄首相の退陣を求める声は上がり始めたが、総裁選への観測気球の域を出ない。「安倍派5人衆は議員辞職を」とか「森喜朗元首相の影響力を排除せよ」とかいった強いけじめを求める声は、自民党内から聞こえてこない。 自民党内に「もの言わぬがよし」の空気が広がっている。山崎さんにそのあたりを聞くと、こう説明してくれた。 「議員が『自民党から給料をもらっているサラリーマン』になっているからです。サラリーマンは表立って上司批判をしない。そんなことをすれば出世しないでしょう」 「第2次安倍晋三政権以降、自民党は選挙に勝ち続けている。特に安倍チルドレンと呼ばれるような4回生以下の議員の多くは選挙に落ちたことがない。だから世論の怖さが分からないんですよ」 三十余年前の日本政治は「政治とカネ」の事件を発端に、政治改革を巡る自民党内政局を経て、党分裂と新党結成、さらには政権交代にまで進んだ。今回はまだ党内政局にもなっていない。世論に鈍感な議員たちは危機感に乏しく、熱量も上がらない。 「こんなやつ」たちがもっと発言すれば、状況が変わるかもしれないのだが。