「敗者髪切りデスマッチ」は1勝1敗 1988年、ダンプ松本は引退試合で因縁の長与千種にタッグ結成を要求
6月にアメリカWWF(現WWE)遠征を行なった山崎&立野が凱旋。9月14日、「タッグリーグ・ザ・ベスト」公式戦でクラッシュからの初勝利をゲットした。それでも、この年のタッグリーグはクラッシュが優勝。ブル&コンドル斉藤を破っての制覇だった。 10・20大田区体育館では長与が大森を破り、WWWA世界シングルとオールパシフィックの2冠王となった。すると試合後、ジャパン女子の神取しのぶ(現・忍)が出現し対戦をアピールするという事件が起こった。この年のMVPは長与で、12月にはデビルが長与との試合を最後に退団。デビルは、翌年5月にジャパン女子で現役を続行することとなる。 88年(昭和63年)1・4後楽園ホールの試合後、ダンプが一方的に引退を表明。1・15同所でのWWWA世界シングル王座戦で長与に防衛を許した大森も引退を発表した。ダンプと大森はタッグを組み、2・25川崎市体育館で同期クラッシュと特別引退試合。ヒールを貫き通すダンプの暴走で試合がノーコンテストに終わると、ダンプ自らがアピールし、長与とのタッグ結成を要求。長与が了承し、急きょ、長与&ダンプvs飛鳥&大森のカードが実現したのである。 ここまでが『極悪同盟』で描かれたダンプの全女での半生だ。その後はブルが獄門党を結成しヒール軍を継承。ダンプが大森とのユニット桃色豚隊(ピンクトントン)で本格的に芸能活動に進出すれば、89年(平成元年)5月に長与が横浜アリーナこけら落とし大会、8月に飛鳥が聖地・後楽園ホールで引退した。その後、ダンプ、長与はプロレスに復帰するのだが、それはまた別の話。女子プロレスはこれからも、彼女たちが積み上げてきたレガシーとともに続いていく。
文/新井宏