【師弟スペシャル対談1】関塚隆×中村憲剛。川崎時代から継がれるバトン「セキさんがフロンターレの監督になったのはちょうど今の僕の歳」
あの選手のサプライズ登場も
――改めてすごいメンバーが揃っていましたね。そして、今回は貴重な対談ですから、指導者としてこれから歩んでいくケンゴさん、関塚さんに監督の心構えなど聞いてみたいことはありますか? 中村 まずライセンス講習でどっぷり指導者の世界に浸かってきましたけど、監督って大変だなって、改めて実感しました。何が大変だったかっていうと、多分、セキさんも色々あったとは思いますが、こんなに決めなきゃいけない物事が多いのかと。そこは講習に参加されたみなさん言っていましたね。セキさんはフロンターレでプロクラブでの初の指揮を執ったわけですよね? 関塚 そうそう。ただ俺がケンゴに逆に今日聞きたかったのは、監督代行は鹿島でやらせてもらったけど、やっぱり1シーズンを通じて初めて監督を務めたのが2004年のフロンターレで、その時の自分は、ケンゴにはどう映っていたのかな、と。それを思い出してもらえれば、ケンゴが最初に監督をやる時のイメージが少し沸くのかなと。実際のところどうだった? 中村 あれは20年前だから、セキさんは44歳の時ですか? 関塚 43歳だね。 中村 そうですよね、セキさんは僕の20個上なんですよ。だからフロンターレの監督に2004年に就任されたのが、ちょうど今の僕の歳なんです。 関塚 俺は1960年生まれだからね。 中村 それで僕が80年生まれ。 関塚 それは分かりやすいね。俺は44歳になる年に監督をスタートさせたので。 中村 まさに僕が今年44歳なんですよ。 関塚 誕生日、10月だもんね。 中村 そうです、僕ら誕生日が5日違いで、セキさんが10月26日で、僕が10月31日。それでセキさんの最初の印象はと言うと、表現が難しいですが、もう“監督”でした。スタッフルームでの会話や振る舞いを僕は分からないので、当時のセキさんが自身のことをどう思っていたのか知る由もないですが、選手に伝える内容、言葉、練習メニューを含めて、僕のなかではもう“監督”でした。不安を抱いている素振りはなく、自信がある方だなっていう印象でした。それは(川崎に来る前に)鹿島で色んな監督の下でやってきたのもあると思いますし、あと早稲田大でも監督経験をされていたはずなので、準備はもう万端だったんだろうなと。正直「セキさん大丈夫かな?」みたいな感情はなかったですね。 関塚 それは良かったよ(笑)。まあ早稲田で2年間、監督をやらせてもらって、そのあとアントラーズでコーチを務めさせてもらったので、全体のフレームというかね、1シーズンを指揮する知識はあったのかなと。でもいざJリーグの監督をスタートさせる時っていうのは、やっぱり緊張感はあったよね。 中村 確かにその緊張感のようなものは少しセキさんから感じたかもしれないですね。当時、僕は大卒2年目で、1年目の監督はイシさん(石﨑信弘/現・八戸監督)だったので、2年目でふたり目の監督だったんです。 関塚 イシさんは、監督経験豊富な方だからね。 中村 その点でふたりはアプローチが大きく違った記憶があります。それはキャンプでのチームの作り方や、メニューなども含めて。セキさんは恐らく、その時にいたメンバーに合わせてチームを作っていたと思うんです。それこそ鹿島は伝統の4バックでしたが、当時の川崎は、イシさんの時も後ろは3枚だったので、3バックを採用された。そこは昔、何かの記事で読みましたが、セキさんも本当は4枚でやりたかったけど、今いるメンバーを見たら3枚の方が良いから、それで進めたと。そして僕は誰よりも最初にコンバートされた人間ですからね。ここに関しては何度だって話をできますよ。セキさんと僕って言ったら、トップ下からボランチへのコンバートというフレーズがまず来ますからね。 関塚 そうだよね(笑)。 中村 あれも監督1年目で、選手をコンバートさせるって、なかなか難しいと思うんです。本来、キャンプなどでチームの大枠を見た時に、そこまで目が届かないんじゃないかなと。これは僕の想像ですが「中村という若いやつがいるな」と、そこで「この選手をなんとかしないといけない」と考えたうえでのコンバートだったのかなと。加えてボランチの年齢層が上がっていた面もあったと思います。ただ初監督となれば、普通はレギュラー陣に自分のスタイルを落とし込むことが優先になりそうですが、セキさんは全体を見ていた。そこも勉強になりました。 (ここで川崎から福島へレンタル中で、中村憲剛に憧れる大関友翔が登場) 大関 こんにちは!! 中村 おお!! 元気にしているのか? 大関 はい、頑張っています!! 中村 体重はちゃんと増えた? 大関 ご飯、たくさん食べているのですが...。 関塚 でも頑張って食べているよ。 中村 福島、お米だとか、いろんなものが美味しそうだもんね。 大関 はい、だから一杯食べるようにしています。 中村 いやー久しぶりに会えて嬉しいよ。ちゃんとセキさんの言うことも聞くようにね。セキさんは俺の恩師だから。 大関 それはもう... !! 僕が等々力でフロンターレを応援していた時の監督でしたから。 中村 そうか、試合にしっかり出ているみたいだし、改めて頑張ってね。 大関 はい、ありがとうございます!! ケンゴさんまたお願いします!! ――大関選手のサプライズ登場でした(笑)。 関塚 突然侵入してきましたね(笑)。 中村 そういうところ、あいつは人懐っこいですから(笑)。 パート2へ続く。 ■プロフィール 関塚 隆 せきづか・たかし/1960年10月26日、千葉県生まれ。現役時代は本田技研でFWとしてプレーし、引退後は鹿島でのコーチなどを経て、2004年からは川崎を率い、魅力的なサッカーを展開。その後はロンドン五輪代表、千葉、磐田でも監督を務め、昨年7月から福島のテクニカルダイレクターに就任。 中村憲剛 なかむら・けんご/1980年10月31日、東京都生まれ。川崎一筋、バンディエラとしてのキャリアを築き、2020年シーズン限りで現役を引退。その後はフロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)、Jリーグ特任理事など様々な角度からサッカー界に関わり、指導現場で多くを学んでいる。 取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)