LGBTQ取材10年 記者が見た「94歳のゲイ」 差別ある社会を許すのか?
ドキュメンタリー「94歳のゲイ」は、1929年に生まれ、ゲイであることを長く隠して生きてきた長谷忠さんを通じて、男性同性愛者を巡る日本社会の変化を描く。ただでさえ、当事者であることをオープンにして生きる人は多くないが、高齢の方でこうしてメディアの前に顔や名前を出す人はさらに少ない。私はLGBTQなど性的少数者の取材に10年ほど取り組んできたが、高齢の同性愛者の方の取材はほとんどできていない。本作は、貴重な記録だ。
社会課題が凝縮された人生
何気なく流れる場面も、長谷さんの人生を映し出す。たとえば、「この顔が一番好き」と言って長谷さんが壁に貼っている、紳士の写真の切り抜き。もし現在も性的指向を隠して生きていたら、老いてケアマネジャーの訪問が必要になった時、その目を気にしなければならず、この写真1枚自室に飾ることもできないだろう。人にとって性的指向は切り離すことのできない大切な要素の一つなのだと、改めて感じさせられる。 長谷さんの人生には、同性愛者を巡って明らかになってきた課題が凝縮されているように思う。長谷さんは、結婚しない理由を尋ねられるのが嫌で仕事仲間との親密な関係は避け、職を転々とし、家族にも迷惑をかけまいと疎遠になったという。仕事や家族などの人間関係から結果として切り離されるというのは、これまで取材でさまざまな年代の当事者から聞いた話と共通する。 「職場で同性愛者であることを言いふらされ、退職に追い込まれた」「同性愛者であることを親に話したら、家を追い出された」。境遇や事情はいろいろでも、多くの当事者が似たような困難に遭ってきた。声を上げた人たちもいたものの、広く社会課題として光が当たるようになったのはこの10年ほどだ。
見て見ぬふり 国の無策
作品では、新たな出会いやつながりも描いており、「人生に遅すぎるということはない」と言えそうなところもある。けれども、もしも違う時代を生きていたら、社会の中での同性愛の扱いが違ったら、長谷さんには間違いなく別の人生があったはずだ。失われた時間は取り戻せないという事実が、どうしても重く突きつけられる。 日本では、戸籍上の性別が同じカップルは法的な結婚ができない。2019年、性別を問わず結婚できるようになることを目指し、同性カップルの婚姻を認めない現行制度の違憲性を問う訴訟が各地で起こされた。これまで、同性婚を認めない民法などの規定が憲法に違反するとの判決が、各地方裁判所で相次いでいる。一方で、政府に動きは見られない。訴訟の原告たちをはじめ、同性婚の法制化を求めて多くの人が声を上げているが、国はまるで見て見ぬふりをしているようだ。