【記者ルポ】激震の爪痕、深いまま 石川県輪島市 建材、瓦散乱、浮き出たマンホール
能登半島北部に位置する石川県輪島市は伝統工芸の輪島塗や観光業、漁業で栄える奥能登の中核的な都市だが、能登半島地震で地震と大火、津波に見舞われた。発生から間もなく1カ月となる31日、損壊した家屋や道路はほぼ手付かずで、豊かな地域を襲った激震の爪痕は深いままだ。(白河支社・水口薫) 金沢市を車で出て半島を北上し、3時間ほどで輪島市に入った。地震直後の大規模火災で200棟以上が焼失した「輪島朝市」では燃え残った建材や瓦、ガラスが路地にまで散らばっていた。石川県警などによる捜索で複数の人骨が見つかった。一帯の人影はまばら。空襲に遭ったかのような光景で、日本三大朝市に数えられた姿を想像するのは難しい。作業着姿で資料を抱えた男性が2人、焼け跡を丹念に見て歩いていた。 石川県災害対策本部によると、輪島市の被災家屋は31日現在、2082棟。住民約2万4千人のうち、2833人が87カ所の避難所に身を寄せる。
朝市を離れ、周辺を歩く。地震で倒壊した建物が至る所で目に入る。遠くの山肌も崩れ落ちていた。路面から1メートルほど浮き出たマンホール、2階がつぶれた木造家屋…。日本海に面する海岸線には地震後、津波も押し寄せた。 印刷会社を営む市内河井町の徳野喜和さん(43)は「まちが終わると思った」と振り返る。1日夕、13年前の東日本大震災が頭をよぎり、真っ先に家族や消防団仲間に高台への避難を呼びかけた。海まで約1キロの自宅兼事務所も家族も無事だった。自然の猛威で古里は変わり果てたが、津波による人的被害が少ないのは不幸中の幸いだったという。徳野さんの「震災の教訓が生きた」との言葉に少しだけ救われた気がした。