スズキの鈴木修相談役死去 「カリスマ経営者」の突然の訃報に静岡県民は…
自動車メーカー スズキの鈴木修相談役が12月25日に亡くなりました。「カリスマ経営者」の突然の訃報に県内からは…。 関係者によりますと、スズキの鈴木修相談役は9月下旬ごろから浜松市内の病院に入院。 12月25日の夕方、悪性リンパ腫のため亡くなりました。94歳でした。 6日仕事始めとなったスズキ。 社員からは、その功績をたたえる声が。 スズキ社員: 「やっぱりすごい人だなと思った。スズキをここまで育てたのは間違いなく鈴木修会長だと思うので。たぶん会社の人はみんなそう思っていると思います。」 静岡県民からも…。 磐田市民 「浜松と言ったら、やっぱりスズキ自動車、鈴木修さんというのもあったと思うので」 浜松市民 「やっぱりカリスマですもん、何と言っても」
40年以上経営のトップに
2代目社長の娘婿として、1958年に当時の鈴木自動車工業に入社した鈴木修さん。 1978年に社長に就任すると、40年以上にわたって経営トップを務めました。 鈴木修会長(当時88歳) Q.石田アナウンサー: 「この40年はどんな40年間でしたか? 「面白かったよ。大失敗もありましてね。がけっぷちに追い込まれてなす術を失ったというところで目が覚める。時の運で努力しなければ運は向いて来ません。90歳でおしまいかと思ったらだめですよ。90歳で死んでしまいますよ。心が死んでしまいますね」 破格の47万円で売り出した「初代アルト」など、軽自動車を中心に事業を拡大し、他社に先駆けて80年代からインドに進出。 スズキを売り上げ5兆円(2023年度)の静岡県内最大の企業に育て上げました。 鈴木修会長(当時): 「これをご縁に、よその車買わないで、うちの車買ってください」
政界に強い影響力を
一方で、県内の政界にも強い影響力を持ちました。 浜松市長選や静岡県知事選では当時の鈴木康友市長や川勝知事を支援。 去年5月の知事選でも強い影響力を持ち、浜松市から初の知事を誕生させました。 鈴木知事 去年12月27日 「私にとっては本当に1999年の最初の選挙から20年以上にわたりまして、公私にわたって大変にお世話になった親父みたいな存在でありましたので、本当に今、ものすごい喪失感でいっぱいであります」