大の里で思い出した24年前の記憶…今年8月に48歳で亡くなった元小結の笑顔が目に浮かんできた 元千代天山・角大八郎さんなら何と言うだろうか
◇記者コラム「Free Talking」 ミレニアム生まれの大の里が九州場所で新大関の土俵に臨む。 2000年か…。当時の自分は何をしていただろうか。そう振り返ったとき、角大八郎さん(元小結千代天山)の笑顔が目に浮かんできた。 同年の大みそか。私は人であふれ返る浅草寺を深夜零時前に横切り、隅田川にかかる吾妻橋を渡った。そのまま川沿いを歩き墨田区役所へ向かった。新年と同時に和美さんとの婚姻届を提出する角さんを取材するためだった。 その角さんが今年の8月29日午前、48歳で亡くなった。不運な事故から6年がたっていた。 18年の10月18日。引退後に和美さんの故郷・和歌山県白浜町で「力士厨房 千代天山」を営んでいた角さんは、いつものようにバイクで買い出しに出た。その道中で追突事故に遭った。 すぐに病院で手術を受けたが、「『脳の血管が破裂したら覚悟してください』と、先生には言われました」(和美さん)と生死をさまよった。「ありがたいことに命だけは助けていただきました」と気丈に語った和美さんだが、「つらい言い方をすると、意識が戻らない状態」と話してくれた。 角さんは笑顔が印象的な人だった。目が合うと遠めからでも必ずほほ笑みかけてくれた。00年の九州場所で武蔵丸を破り金星を獲得した一番。私にはそう見えたので「投げを打ちながら笑ってたでしょ?」と正直に聞いてみた。角さんは「そんなわけないやろ」とムッとしたが、最後はニコッとほほ笑んだ。 事故後は2年ほどで退院。その後は自宅で過ごした。目は開いていても話をすることはできない。和美さんは「大八郎くんは見えてるし聞こえてる。そう思って生活しました」と寄り添い続けた。「自分が感じているだけかもしれないですけど、知り合いの方が来たらほほ笑んでるようにも見えました」と話すと涙ぐんだ。 角さんが持つ新入幕から3場所連続での三賞受賞は、大の里(5場所連続)まで25年間も破られなかった。 「大八郎くんはどう思ってるのかな。記録を抜かれて『やっとかよ』なのか、『やられたー』なのかね。聞いてみたかったなあ。25年ですか。すごい記録だったんですね…」と和美さん。 「どっちにしても笑ってるんでしょうね」。和美さんの一言で、また角さんの笑顔が浮かんできた。(大相撲担当・岸本隆)
中日スポーツ