若手の愛国主義者と元兵士たちが交わした激論…101歳の老兵を憤慨させた「ある一言」
「戦友会」と聞いてピンとくる人は、どれだけいるだろう? 慰霊や親睦のために作られた元将兵の集まりだが、その「お世話係」として参加し、戦場体験の聞きとりをつづけてきたビルマ戦研究者がいる。それが遠藤美幸さんだ。 【写真】日本軍兵士が「死んだら靖国神社には行きたくない」と懇願した理由 家族でないから話せること、普段は見せない元兵士たちの顔がそこにある。『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)から、その一端をご紹介したい。世界中がキナ臭い今、戦争に翻弄された彼らの体験は何を教えてくれるのか。 本記事は、『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス)を抜粋・再編集したものです。
戦争を知らない人たち
水足さんは、戦友以外の戦後世代の会員にも問いかけた。 「愛国主義者の皆さん、戦後70年にどう思われますか」 《60代の男性の場合》60代男性は「海軍の父からは何も聞きませんでした。若い時、海軍関係の本を読んだが、陸軍の人たちの話は思っていた以上にリベラルでした。皆さんの戦争体験の証言はリアルで本とは違いました」と話した。 《40代の会社員の男性の場合》次に、保守系右派の代表選手の、40代の男性が早速持論を展開した。「かつての軍人は日本の自衛のために、白人の世界植民支配を打破するために命を捨てて戦ってくれました。日本軍の特攻や玉砕に対する畏敬の念が、アジアの人々に勇気を与え独立戦争を戦う力を与えました。自虐史観の教科書で学んだ国民の意識を変え、正しい歴史を認識すべきです。日本の総理が靖国神社を参るのは当たり前です」 保守系右派の決まりきった文言だ。今は亡き安倍元首相が聞いたら絶賛間違いなし。 安倍さんを喜ばせておく程度にしておけばよかったのだが、彼はさらに饒舌になった。戦場体験も戦争の被災体験もない戦後生まれが、ビルマ戦場で戦った元兵士らの面前でビルマ戦線を語る暴挙に出た。彼によると、インパール作戦は敗退戦ではないらしい。とにもかくにもこの人は2015年11月を皮切りに「大東亜戦争とビルマ戦線」という題目で、元軍人の親睦団体の偕行社で数回の講演会を実施した。彼のメンタルは超合金並みであるのは間違いない。 「お世話係」の私は、彼の戦友会での言動をハラハラドキドキしながら見守っていたが、ある日、堪忍袋の緒が切れた古参兵の金泉軍曹が「もう一度ペリー来航から歴史を勉強し直してきなさい」と一喝した。しかし、彼はどこ吹く風でその後も「軍事研究家」を名乗っていた。彼は私とは違う視点でビルマ戦線の本を書きたいとよく言っていたが、出版の折にはぜひとも書評を書かせて頂きたい。 《飛行機好きの30代男性の場合》ペリリュー島の戦友・遺族会の理事も務めている30代の男性は、「こちらの戦友会にはお邪魔させて頂く気持ちで参加させて頂いています」と謙虚な姿勢で語る。彼がペリリュー島を含むパラオの戦争に興味をもったのは戦闘機マニアとして初めてアンガウル島を訪ねたのがきっかけだそうだ。その後パラオの戦いを後世に残したいと何度も訪問を重ねた。戦争の記憶の継承を担おうとする奇特な若者であることは間違いない。しかし、彼が継承する戦争の記憶は前出の40代の男性の掲げる歴史認識と同じなのだ。 「リベラル」と「市民」という言葉が大嫌いと私に語った彼は、「戦争には反対。でも反日を唱える人には日本から出て行ってほしい」と言い、さらに「自分の国は自分たちで守らなければいけない」とも付け加えた。ほっそりとした今どきの人だが、本気で戦場に行く覚悟があるのだろうか……。 《舞台俳優の30代男性の場合》ある舞台で航空特攻の隊長を演じるという30代の舞台俳優の男性は、2回だけの参加であったが、「僕は間違った歴史、靖国神社を参拝するなという偏向教育を受けてきた。役者としてこれを変えていきたい」と熱く語った。 実際に戦場で戦った元兵士たちよりずっと勇ましいことを熱く語る戦場体験のない人々。彼らが饒舌になると老兵たちはなぜか寡黙になった。 水足さんは「皆さん、戦争を美化しちゃいけません」と珍しく語気を強めた。