[山口県]新たな銭種「富寿神宝」発見 山口市の史跡周防鋳銭司跡から
銭貨生産最長45年に
山口市は27日、平安時代に設置された官営の銭貨鋳造所跡「史跡周防鋳銭司跡(すおうのじゅせんしあと)」(山口市鋳銭司)から、新たな銭種「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」を発見したと発表した。これまでに出土した3種類の銭貨より生産時期が古く、周防鋳銭司は設置されたとされる825(天長2)年から870(貞観12)年まで最長で45年にわたって銭貨生産が行われていたことが明らかになったとしている。 [拡大写真]史跡周防鋳銭司跡から見つかった新たな銭種「富寿神宝」 山口大と連携して2017年度から周防鋳銭司跡の発掘調査を実施。市教育委員会文化財保護課によると、23年10月に、第4次調査(18年度)で遺跡から採取した土を水を入れたバケツ内でふるいにかけて細かな異物を取り上げる作業で発見した。古代の銭貨生産と貨幣史の専門家4人の調査で、形状や状況などから「周防鋳銭司で生産された富寿神宝の未使用の完成品である可能性が高い」との所見が得られた。 見つかった富寿神宝は直径が縦方向23・1ミリ、横方向23・0ミリ、厚さ1・5ミリ、重さ1・7053グラム。文献資料によると、818(弘仁9)年から834(承和元)年までの間に生産されたとされる。 周防鋳銭司跡からは、これまでの発掘調査で、835年初鋳の「承和昌宝(じょうわしょうほう)」と848年初鋳の「長年大宝(ちょうねんたいほう)」、859年から870年に生産された「饒益神宝(にょうやくしんぽう)」の3種の鋳損じ銭が出土している。富寿神宝は4種目で、表面にさびがついているものの、完全な形で出土した銭貨は初めて。 周防鋳銭司では、文献史料から825年に設置され、皇朝12銭のうち8種類の銭貨が生産されたことが分かっている。これまでに出土した3種の鋳損じ銭から、銭貨生産が835年から870年まで最長35年継続していたと推測されていたが、今回、承和昌宝よりも前に生産された富寿神宝が見つかったことで、生産開始がさらに10年さかのぼり、期間が45年に広がった。 調査メンバーの一人で、前奈良文化財研究所所長の松村恵司氏(貨幣史)は「今回の発見によって、調査地周辺に長門国(現在の下関市)から移転した周防鋳銭司の当初の銭貨生産施設が存在したことがほぼ明らかとなった。今後のさらなる調査・研究の深化に期待したい」とのコメントを出した。 市は富寿神宝を28日から9月1日まで、鋳銭司の鋳銭司郷土館で特別公開する。これまでに出土した鋳損じ銭3種10点も展示する。 定例会見で発表した伊藤和貴市長は「多くの皆さんに来ていただき、1200年前となる平安時代の息吹を感じてもらえれば。引き続き山口大と連携して発掘調査を続け、古代日本の銭貨生産を支えた周防鋳銭司の実態をさらに解明したい」と述べた。