「海はジェットコースター」 届けたいのは海の素晴らしさと怖さ、13年前を語り始めた高校生 #知り続ける
岩手県宮古市の政屋璃緒(まさや・りお)さん(16)が、かつて古里で起きた出来事を人前で語り始めたのは昨秋のことだ。13年前の「あの日」の記憶はおぼろげだが、知識や感性を生かして言葉をつむぐ。海は心地よく、母真理さん(40)から生き方を学ぶ場でもある半面、多くの命をのみ込んだこともあった。そのことを伝えたい。 【写真まとめ】田老の海岸にたたずむ政屋璃緒さん
「防浪堤(ぼうろうてい、防潮堤のこと)は津波を防ぐためでなく、逃げる時間を稼ぐためにあります」「防浪堤があるからとすぐに避難しなかった人、家族や知り合いが心配で家に戻った人もいました」 3月初めの日曜日。雪がちらつく岩手県釜石市のラグビー場で、東日本大震災について語る璃緒さんの姿があった。2019年のラグビー・ワールドカップ日本大会の会場になった釜石鵜住居復興スタジアム。津波で全壊した小中学校の跡地に建ち、グラウンド脇には「あなたも逃げて」と刻まれた石碑が建つ。なぜ、どのように犠牲者が出てしまったのか。そこから何を学ぶべきか。自分や家族の体験も交えて4分ほどに凝縮し、碑のそばで観戦に訪れた人たちに訴えた。
母の体験、体に染み込ませ
璃緒さんが生まれ育ったのは宮古市北部の田老地区。太平洋に面した漁師町で、1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で壊滅的な被害を受けた。津波からまちを守るため、34年に着工し40年以上かけて整備された高さ10メートル超、総延長約2.4キロの防潮堤は「万里の長城」と呼ばれた。しかし震災の津波はそれを乗り越えてまちをのみ込み、181人が犠牲になった。 「娘をトイレに座らせるやいなや、すごい揺れに襲われた」。当時、市中心部の商業施設で璃緒さんら家族と買い物中だった真理さんはそう振り返る。田老出身の真理さんは津波の襲来を直感。一緒にいた祖母もそばを流れる川の水が引くのを見て「津波が来る」と叫んだ。3歳だった璃緒さんの記憶にも、そのとき感じた揺れと川を凝視する大人たちの姿が焼きついた。