色を重ねて赤ら顔を巧みに表現…〈正倉院展宝物考察〉
伎楽面(ぎがくめん)・酔胡従(すいこじゅう) (縦30.8センチ、横24.3センチ、奥行き30.2センチ)
伎楽は呉楽(くれがく)とも呼ばれ、推古天皇20年(612年)に百済人・味摩之(みまし)が「呉」(中国・江南地方)から学んで日本へもたらしたと伝えられる。7~8世紀には法会などに際して盛んに行われたようだが、次第に衰微し、中世にはほとんど途絶したため、内容の詳細には不明な点が多い。
本面は鼻先を長く突き出して、ひげを蓄え、赤みを帯びた顔であることから役柄は酔胡従と考えられる。酔胡従は8人で1組を構成したとみられ、酔った胡人(こじん)(西方の異国人)の王に従って楽舞の終盤に登場し、泥酔した演技で観衆を楽しませたようだ。
キリの一材製で、内部をくりぬいた後、瞳、鼻孔は貫通させる。瞳は輪郭が不整形だが、これは完成後に演者が視界を確保するために 刳く り広げたのだろう。表面には黒漆を塗り、白色下地を施した上で橙(だいだい)色を塗り重ね、さらに額・頬・耳に赤色でぼかしを加えて赤ら顔を巧妙に表現している。頭髪には獣毛を3段に貼り、顕微鏡による観察の結果、馬毛と判定され、たてがみと推定されるに至った。
面裏の左耳部に「捨目師(しゃもくし)作」の墨書がある。墨書からこの人物の作とわかる面は正倉院にもう1面(酔胡従)が伝わるほか、東大寺に3面(童子2面、呉公(ごこう))とイギリスの大英博物館に1面(童子)が残る。
いずれも年紀はないが、本面にみる精彩ある表情は大仏開眼会で演じられた伎楽に用いた将(しょう)(相) 李魚成(りのうおなり)・基永師(きえいし)・延均師(えんきんし)の面に近く、黒漆下地を施す仕上げ法も共通することから、捨目師作の面も開眼会の伎楽に用いられたのだろう。 (奈良国立博物館主任研究員 山口隆介)
第76回正倉院展に出展されている珠玉の宝物の魅力を、奈良国立博物館の研究員が紹介する。