「岐阜自衛官候補生銃乱射事件」から1年…「日本のメディア」は、なぜ「加害者の家族」までも不必要に追い詰めるのか
日本特有の問題
『加害者家族バッシング―世間学から考える』(現代書館、2020)の著者である佐藤直樹氏は、親が自殺にまで追いつめられる現象は、海外とくに西欧諸国では見られず、この国特有の問題だと指摘している。 実際、家族と個人が区別されている西欧諸国では、罪はあくまで罪を犯した者が負うべきものであって、たとえ未成年者の親であっても、仕事を辞めなければならない状況にはならない。そもそも、親が仕事を辞めたからといって、加害者が更生するわけではない。むしろ、家族が経済力を失うことによって賠償の支払いや更生の環境も用意できなくなるのである。 事件後、家族に謝罪会見を求めるメディアもあるが、こうした家族による謝罪会見もまた日本特有の現象であり、海外からは異様な光景に写っていることも頭に入れておくべきであろう。たいてい家族の下にメディアが殺到するのは事件直後であり、家族として事件の詳細が把握できているケースはそう多くはないはずである。 家族に質問を向ける大義として、メディアは真相究明を主張するが、そうであるならばコメントを急かす必要はないはずである。ところが判決後、全容が明らかとなった頃には世間の関心は他の事件に移っており、この時期には耳を貸さないのである。謝罪会見は、惨事が発生した際、世間の処罰感情を鎮めるための儀式のようなものであり、多くの加害者家族は無責任な報道の犠牲となってきた。
事件は家庭ではなく自衛隊で起きている
幼い頃からの夢を叶えたはずの息子が三カ月後、なぜあのような惨劇を起こすに至ったのか、家族はその真相が明らかとなることを願っている。自衛隊という高い壁に阻まれ、うやむやにされることのないよう、メディアには権力監視の役割を発揮して欲しい。
阿部 恭子(NPO法人World Open Heart理事長)