午前2時のコンビニで過去問コピーを取る夫、そのとき専業主婦の妻は…【おおたとしまさ『中受離婚』】
子どもは無事に合格したものの、受験期間のすれ違いから破綻してしまった3組の夫婦について、「夫」「妻」「子」それぞれの立場から語られる衝撃のセミ・フィクション『中受離婚 夫婦を襲う中学受験クライシス』(集英社/著・おおたとしまさ)。「合格から逆算し受験をプロジェクト化する夫、わが子を褒めることができない妻」――この夫婦を襲ったのはどんなクライシスだったのか? 【書籍】『中受離婚 夫婦を襲う中学受験クライシス』はこちら
話題の新刊より一部抜粋・再構成してお届けする。
深夜のコンビニ、中学入試の過去問集を見開き単位で拡大コピー
ピカッ! スーッ カシャン ピカッ! スーッ カシャン ピカッ! スーッ カシャン さらに五〇〇円玉を投入する。 チョリン 機械の中で硬貨の山に五〇〇円玉がぶつかり、鈍い音をたてる。 なんでこんな時間に、俺がこれをやらなきゃいけないんだ。あのひとはいまごろきっとすやすや寝てるんだろう……。余計なことを考えたら手元が狂い、理科の問題の最終ページが若干斜めってしまった。 くそっ。 妥協は許されない。失敗したコピー用紙を二つ折りにして、コピー機の脇にあるゴミ箱へスッと差し入れる。もう一度、丁寧にコーナーを揃えて、拡大率を確認し、コピーボタンを押す。すでに二〇分以上、何十回とコピーボタンを押している。考えてみればたかだか二〇分程度ではあるが、もう何時間もこうしているように感じる。これ以上やっていたら、コピー機と自分が一体化してしまいそうだ。でも、あと一年分残っている。 うっかり深呼吸をしてみるが、コピー機が発する光と音と熱とで汚染された、深夜の都心のコンビニの空気は、金井穂高の全身の細胞をいっそう気だるくさせるだけだった。 ずいぶんとくたびれた背広姿のサラリーマンが、五〇〇ミリリットルのストロング缶を一本レジに差し出し、タバコの番号を伝える。「ポイントカードはありませんか?」。若い店員のイントネーションから、彼が外国から来ていることがうかがえる。 長男のムギトが小六の二学期を迎えてから、週二~三回のペースで、穂高はこのコンビニに通っている。中学入試の過去問集を見開き単位で拡大コピーするためだ。たとえばW大学高等学院中学部の二〇一六年度入試は、問題だけで二五ページ、解答用紙が四ページ、解答解説が一六ページ。合わせて二五回コピーしなければならない。 第一志望校と第二志望校については一〇年分をぜんぶやれと塾から言われている。第三志望校については五年分。それ以外の学校は三年分。しかも複数回受験を行う学校の場合、ページ数は二倍、三倍になる。 拡大コピーしただけでは終わらない。カッターで余白を切り取り、できるだけ本物に近い形で取り組めるように整える。そこは広告代理店に勤める穂高自身の職業柄ゆえのこだわりなのだが。仕事の合間を縫って、その作業を行う。 流れ作業になれば一枚あたり一〇秒ほどでコピーはとれるが、問題を解く子どもは一枚一枚に何十分という時間をかける。中学受験生の親として、これくらいのことはしてやらなければならないことには合点がいく。しかし、なぜ、あのひとは知らんぷりなんだ? 妻の杏のことである。