震災後に一家離散…児童養護施設で育った男性が約20年ぶりに兄と再会 2人で初めての墓参り「来年からは毎年来ましょう」母子寮で死亡した母に笑顔で報告【阪神・淡路大震災から29年】
阪神・淡路大震災の発生から29年となった17日、約20年ぶりに再会した兄弟が震災で亡くなった母の墓前に立ち、初めて2人が並んで手を合わせました。 【動画】約20年ぶりに再会した兄弟…阪神・淡路大震災から29年 母を亡くした男性の人生を支えたもの 「来年からは毎年来ましょう」 震災後、児童養護施設に預けられ、一時は「一人で生きていく」と決意した男性と、弟に何もしてやることができなかったという責任感と罪悪感に苛まれてきた兄…男性は「29年前に止まった家族の時間がやっと動き始めた」と語りました。
■「周りの人に支えられて」遺族代表として感謝を述べる男性…涙を浮かべながら見つめる兄
地震発生時刻の午前5時46分過ぎ、神戸市中央区で行われた追悼行事「1.17のつどい」で、鈴木佑一さん(34)は、今年の遺族代表として「追悼のことば」を話し始めました。語られたのは、この29年間の壮絶ともいえる半生でした。 鈴木佑一さん「地震で建物が倒壊して私は生き埋めになっており、知らないたちが私を助け出してくれて、靴を渡してくれました。母はそのとき すでに死んでおり、兄は無事でした。震災後、2人は父親のもとに引き取られたのですが、私だけが児童養護施設に預けられました。その日から私と家族との時計の針は止まりました」 時折、涙声になりながらも語り続ける佑一さん。
マイクの前に立つ佑一さんの姿を見つめる男性がいました。鈴木さんの兄・一馬さん(42)です。一馬さんの目にもまた涙があふれれていました。 2人は去年11月、約20年ぶりの再会を果たしたのです。
■家庭内暴力から逃れ「神戸母子寮」で被災し母は死亡 一家は離散し児童養護施設へ
佑一さんと一馬さんは29年前、夫の暴力や貧困などに悩む母親と子どもを受け入れる神戸市兵庫区の「神戸母子寮」で母・富代さん(当時44)と暮らしていました。富代さんは、佑一さんと兄を連れて、生活費を浪費し、酒を飲んでは暴れる父親から逃れてきたのです。 震災により、昭和初期に建てられた木造2階建ての母子寮は全壊し、一家が暮らしていた1階は、2階に押しつぶされました。佑一さんと一馬さんは救出されましたが、富代さんは冷蔵庫の下敷きとなり、亡くなりました。