ムッシュかまやつの「ポール・マッカートニーよりも早かった」日本初の画期的アイデアとは? 内田裕也も「すごいよ! あのレコード」と興奮
「ムッシュかまやつ」の愛称で多くの人に愛された、かまやつひろし(2017年3月1日に他界、享年78歳)。ザ・スパイダースで『バン・バン・バン』『あの時君は若かった』などをヒットさせ、海外にもファンが多い日本ポップス界のレジェンドの逸話を紹介する。 【画像】作詞作曲したかまやつ本人が遅刻で写っていない日本初のロックナンバー
日本で2つの“初”を発表した、ザ・スパイダース
1965年に日本で最初のオリジナルのロック・ナンバーとなった『フリフリ』(作詞作曲/かまやつひろし)を発表したザ・スパイダースは、日本語のロックの原点と呼ぶべき存在だろう。 『フリフリ』が誕生したのは新メンバーとして加入した、かまやつひろしにリーダーの田邊昭知が「かまやつ、何かひとつオリジナルを作れ」と指示したからだった。 それから約1年後の1966年の4月15日。日本のバンドとしては初の全曲オリジナル・ソングによるアルバム『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』が発表された。 ロックバンドのジャックスが1968年に作ったアルバム『ジャックスの世界』よりも2年、1970年に発表された、はっぴいえんどのデビュー・アルバム『はっぴいえんど』よりも4年も早い。 しかし当時は誰もそのことに関心を払わなかったし、シングル盤のヒットが出なかったのでさほど話題にもならなかった。 そのためレコード会社の意向で、ベテランのソングライター・浜口庫之助が書いた『夕陽が泣いている』を、スパイダースはシングルとして出すことになった。
グループサウンズ(GS)ブームと沈静化
1966年の秋に発売された『夕陽が泣いている』は、スパイダースがヨーロッパで発売されたアルバム『サッド・サンセット』のプロモーションで、3週間ほどヨーロッパ・ツアーに出かけている間に日本でヒットし始めていた。 ヨーロッパから帰国したメンバーたちはヒットに気をよくしつつも、6月のビートルズ来日公演が及ぼした影響によって、歌って演奏するバンドが一斉に誕生してきたことに驚かされる。 ビートルズを体験した直後に加瀬邦彦が結成したザ・ワイルドワンズを筆頭に、以前はブルー・コメッツとスパイダースしかいなかったヴォーカル・インストゥルメンタル・グループが、あっという間に増えていたのだ。 そしてワイルドワンズのデビュー曲『想い出の渚』が11月から大ヒットし、年が明けた2月にはタイガースが『僕のマリー』でデビューして、グループサウンズ(GS)の時代がやって来る。 それに続けとばかりにカーナビーツ、ジャガーズ、ゴールデン・カップス、テンプターズ、ビーバーズ、491、アウトキャスト、リンド&リンダーズ、ヴィレッジ・シンガーズ、モップス、ダイナマイツ、オックスなど、その数300ともいわれるGSのブームが巻き起こった。 しかし1967年から68年にかけて大きな盛り上がりをみせたGSブームは、過剰なまでの競争と商業主義の常で、ヒットを狙った曲が量産されたためにマンネリ化し、1969年に入ると波が引いたように退潮してバンドの解散が相次いだ。 すっかりGSブームが沈静化してしまった1970年。かまやつひろしはユニークなソロ・アルバムを制作する。