初窯を控えた窯、能登半島地震で全壊…珠洲焼の作家・篠原敬さん「炎を絶やすわけにはいかない」
再建した新窯で新たに作品をつくるはずが、積み上げたレンガが倒壊――。石川県珠洲市で、3回も被災しながらも「炎を絶やすわけにはいかない」と前を見据えるのは、珠洲焼作家の篠原敬さんです。「薪で焚く窯を、若い世代に継いでいきたい」と語ります。(withnews編集部・水野梓) 【画像】被災を免れた珠洲焼はこちら 篠原敬さん「また窯を再建したい」
薪で焚く窯が3度目の被災
最大震度7を観測した能登半島地震が起きた、1月1日午後4時過ぎ。 激しい揺れに襲われた珠洲市の篠原敬さん(63)の工房では、1月20日に初めての火入れ「初窯」を迎えるはずだった窯が全壊し、焼く予定の作品も壊れてしまいました。 「ものすごい揺れで、震災当日は何も考えられなかった。ただ、命が助かったな、と思っただけでした」と振り返ります。 篠原さんの窯が被災したのは、2022年6月と2023年5月の地震と、今回で3度目です。 震度6強の揺れが襲った昨年の奥能登地震では、レンガが落ちてしまいました。 「実は去年は、『もうやめようかな』とも思ったんです。でも、多くの人が応援してくれて、もう一度やってみようと再建したところでした」 全国から応援の声が届き、多くのボランティアが集まって昨夏に数千個のレンガを積み直した窯は、再び崩れてしまいました。 しかし篠原さんは「今回は不思議と心が折れることもありません。これまで応援してくれた人のためにも、また窯を再建するつもりです」と前を向きます。
古陶の美しさに心を打たれて
珠洲市の寺の長男に生まれた篠原さんが珠洲焼と出会ったのは、働いていた京都の寺から地元に帰ってきた28歳の頃でした。 珠洲に原発をつくる計画が持ち上がっており、反対運動に携わるなかで「私たち人間は豊かな生活をただ追い求めるだけでいいのか」「きらびやかな伽藍や衣を身につけるお寺のあり方はこのままでいいのか」と自問自答したといいます。 豪華な僧衣をまとってその「顔」をして生きていくよりも、素のままで生きていきたい――。 そんな風に感じていた時、1989年に開館した珠洲焼資料館を訪れ、一堂に会した古陶の美しさに心を打たれました。 隣接する体験施設の館長から声をかけられ、土にふれてみると、「これで自分の精神世界を表現することができるんだ」ということに気づき、珠洲焼の世界へ足を踏み入れました。