「若いってことに価値はない」北野武が語る“生きづらさ”をぶち破る方法
若いってことにあまり価値はない
よく昔から、年寄りが「今の若いもんはしょうがない」なんて言うんだけど、そんなことを言う年寄りってのは天に唾するようなもんだ。だって、若いもんが礼儀がなくて作法を学ばないのは、手本になる大人がいないからだもん。 少なくとも作法っていうのは、「あの人はかっこいいな」っていう大人への憧れだったり、「あのときのあの人はかっこよかったな」なんていう記憶によって作られる。身近にそんなかっこいい大人がいたら、強制なんかされなくたって自然に真似したくなるもんだ。鮨の食い方にしても酒の飲み方にしても、そうやってかっこいい大人の真似をして礼儀作法を覚えたもんだ。だから、年寄りが「今の若いもんは……」ってグチるのは、あんまりみっともいいもんじゃないね。 あと、よく「若い人はいいな」なんていって、若いこと、若さがあたかも重要なことのように言うけど、若い人ってのは果たして偉いのかといつも思う。単に年を取ってないだけじゃないか。 ひところ、「女子大生」がブランド化して、なんでもかんでも女子大生に受ければいいっていう風潮があったんだよ。だから漫才師のプロダクションが女子大生を集めてキャーキャー言わせて人気があるように見せかけたりして。オイラそれ見てもうイヤんなっちゃって。いかに女子大生に嫌われるかってなもんで、散々悪口を言ってたんだよ。そのころ、女子大生に人気があるとかいって浮かれてた芸人はみんないなくなったんで、ざまあみろって思ってる。 ただ、年を取るってのは嫌なもんだけど仕方ない。誰だって1年にひとつ年を取るし、誰だっていつかは必ず死ぬ。ただ、年を取ると若いころよりも反応が鈍くなるし、漫才でいえばアドリブが効かなくなる。 昔は舞台に立っていてもテレビに出ていても、このネタには今のタイミングではこれってピンとくるものがあった。反応の素早さ、間、タイミング、ぴったりの言葉、こういうのがどんどん出てきた。頭で考える前に口が自然にしゃべってるんだよね。それを年のせいにするわけじゃないけど、できなくなってるんだからしょうがない。 じゃあどうするかっていうと、誰に評価されるわけでもないことを毎日少しずつコツコツと積み重ねるって方向に向かうわけだ。アドリブの瞬発力より、コツコツとした持久力みたいなもんで、最近じゃ、ピアノを弾いたり、絵を描いたり、小説を書いたりってことが楽しくなってきた。 これは他人からの評価を期待しないってところが大事で、自分がこれをやろうって決めたことに向かってコツコツ少しずつやっていく。これは今の生きにくい時代を生き抜いていくための一つの方法かもしれないね。