日本は翻訳大国でありトランスボーダー大国、『万葉集』は世界を代表する翻訳文学である
自己発見と新しいものを生み出す動力
●上野 ご出身のアイルランドの文化を象徴するもの、代表させたい文化というと何ですか。 ●マクミラン 今世界的に知られているのは音楽かな。文学も盛んです。小さな国ですが、イェイツ、ヒーニーなどノーベル文学賞を受賞した詩人もいます。 かつて古代アイルランドには王様がいて、その次に位の高いのが詩人でした。呪術的な力を持つシャーマンでもあって、詩人に呪われると不幸になり、言祝いでもらえれば幸せになる、という日本の言霊(ことだま)信仰のようなものがあります。『万葉集』に通ずるところがあるように思います。 ●上野 言葉を「道具」と考えるか、「それ自身に生命が宿るもの」と考えるか。後者の考え方のほうが古いと思います。 中国文化、中国文明の周辺にいる弱い立場の者は、中国に圧倒されながらも、「古いもの、素朴なものが良い」というふうに主張します。古いものを保存し、それを自分たちのアイデンティティーにする姿勢です。 『万葉集』についても、8世紀の人たちは漢詩・漢文が書けるエリートではあるけれど、「これがなくなったら俺たちは日本人じゃなくなるよね」みたいな感覚があったのではないでしょうか。 アイルランドで、言葉を大切にしたり、「ケルトの文化も残っている」と主張して古いものを自分たちのアイデンティティーにしたりする感覚と、近いところがありませんか。 ●マクミラン ありますね。 ●張 日本文学との相性も良いですよね。パウンドが翻訳した謡曲は、日本語がよくわからないから自由奔放な訳し方になっているけれど、英語で読むとそこがかえって面白い。イェイツが感動してそれを取り入れましたね。 ●マクミラン イェイツばかりか、ジョイスも影響を受けています。「杜若(かきつばた)」という謡(うたい)のパウンド訳に見られる縁語の考え方がジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の基になっていると言われるほど、アイルランド文学には深く影響しています。 ●張 それは、トランスボーダーが動力になって新しいものを生み出している、1つの例に思えます。 時代が少し後になりますが、『古今集』に、壬生忠岑(みぶのただみね)の「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」という歌がありますね。授業で学生に読ませると、今の子たちにはなぜ暁が悲しいのかわからないから、「通い婚で、暁には家を出ないといけないから悲しいんだ」と説明します。 当時の人々は、漢詩を知ったからこそ「暁の悲しさを感じることに価値がある」と発見し、この歌を残したと思うのです。 異質のものとの出会いが、自分の文化にもともとありながらそれまで何とも感じていなかった、そういうものの持つ光に気づくきっかけになる、ということです。 上野先生がおっしゃったように、強いものに圧倒され、古いもの、素朴なものを保存するようになるばかりでなく、自己発見のきっかけになるというのも、トランスボーダーの持つ別の力ですね。 ●マクミラン 私は今、『万葉集』の英訳を世界に発信していくため、さまざまな活動に取り組んでいます。例えば「万葉歌めぐりの旅プロジェクト」では、「万葉のふるさと」のひとつである富山県高岡市が解説板を作っています。 現在、日本全国にある約2300の歌碑のうち、妥当性のあるものは1500ぐらい。しかも、崩し字で書かれていて、日本人でもたいがい読めないし、読めても意味が伝わらない。 そのプロジェクトで作る解説板には、原文と、現代の日本語での読み方と解説、さらには、英訳と外国人目線で書かれた解説を載せます。日本人にも外国人にも、富山なら富山の観光をして、お酒を飲み、おいしいものを食べ、そして『万葉集』文学の旅の情緒を堪能してもらおうというわけです。 また先日、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、ジョージアで、JICAの文化講師として『万葉集』の英訳についての講義をしました。 その折にこの万葉歌めぐりの旅の話をしたら、ジョージアの皆さんが感激してくださって、それが「自分たちの文化や文学をどのようにすれば観光資源として生かせるか」と考えるきっかけになったようなのです。 『万葉集』や日本文化にはそういう力がある。まさにトランスボーダーだと思います。 ●張 異質なものとの出会いにより、みずからを発見するときの合わせ鏡の役割ですね。
上野誠 + ピーター・J・マクミラン + 張競(構成:置塩文)