『となりのナースエイド』川栄李奈演じる澪はなぜ原作よりユーモラス? 脚本の狙いを読む
医師免許も看護師免許もないため医療行為をおこなうことができず、主に患者の身の回りの世話などをしながら彼らに寄り添うのが、看護助手、すなわちナースエイドの仕事である。映像化された『仮面病棟』や『祈りのカルテ』で知られる現役の医師作家・知念実希人の同名小説を原作にした日本テレビ系列の水曜ドラマ『となりのナースエイド』は、まさにこのナースエイドを主人公に、その奮闘ぶりを描く物語である。 【写真】『となりのナースエイド』第3話カット(複数あり) 1月10日に放送された第1話は、川栄李奈演じる主人公の桜庭澪が星嶺医科大学附属病院の新人ナースエイドとして働き始めるところから始まる。出勤早々、待合室にいた女性の腰痛の訴えから、重病(解離性大動脈瘤スタンフォードA型という具体的な病名はあげずに)の可能性に気が付き、その場に居合わせた医師や看護師から目をつけられる。そして密かに尊敬していた同い年の天才外科医・竜崎(高杉真宙)の性格の悪さを目の当たりにしてショックを受け、彼が手術をおこなう患者の夫婦の悩みに寄り添い、さらにその患者のちょっとした異変から併発していた別の病気に気が付くという物語が展開した。 第1話、そして第2話を観る限りでは、いたってシンプルな“医療ドラマ”、あるいは水曜ドラマ枠ではおなじみのラブコメ要素も感じさせるお気楽な“お仕事ドラマ”といった印象が強い。「医師>看護師>看護助手」という序列が確立した大学病院を舞台に、持ち前の能力なり行動力なり努力なりを活かして下剋上的にのし上がっていく主人公の姿を、コミカルなタッチで描くといったところだろう。各話ごとにゲスト患者がいて、それらとの関係を通して主人公に対する周囲の見方が変わっていくというのは、医療ドラマにおいては鉄板の構成ともいえる。 そこにフックとなるように「なぜ彼女は医学の知識が豊富なのか?」というミステリーが加わる。1話で完結するエピソードを重ねながら、こうしたドラマ全体を貫く大きなミステリー(概ね主人公の過去に関わるものが常套である)へと繋いでいくのは昨今の連続ドラマにおける基本的なスタイルだ。それは要するに、視聴者の興味を約3カ月間持続させることと、見逃しや流し見をした視聴者が大筋についていけなくなって離脱することを避けること、その両立を図る策であり、少なくともそうした構成が作品全体の魅力を著しく欠いたりアンバランスさが際立つようなことはあまりない。 そもそもこの『となりのナースエイド』という作品は、根っからの医療ミステリ小説。知念はミステリ作家であり、原作小説も第1章でナースエイドの職業性について描写しながら、第2章以降は主人公の“過去”の部分がある程度明らかにされた上で、天才外科医でありつつも変人である竜崎とのタッグでまた異なる闇の部分へと触れていく。すなわち、原作通りドラマが進められていくのであれば、「なぜ彼女は医学の知識が豊富なのか?」というフックの答えは比較的早い段階で判明するはずで、おそらく最近のドラマの潮流を鑑みれば、中盤の折り返し地点にその答えが明らかになるだろう。 もちろん勘のいい視聴者はすでに答えに気付いているはずであり、ドラマの成否を決めるのはこのフックではないということがよくわかる。それでもドラマ放送前から「このドラマには裏がある」という触れ込みを与え、その転換にある種のカタルシスを求めるのであれば、ドラマ前半部は徹底的に従来の“お仕事ドラマ”に擬態しておく必要も生じる。そのためドラマ第1話は、基本的に原作の第1章に即したストーリー運びがされていたが、随所に興味深い脚色ポイントが見受けられることとなった。 まず先述した、澪が最初に“診断”する待合室の女性こそ、原作の第1章における“ゲスト患者”であったこと。なぜそれをあえて簡単な導入のひとつに変更したのか。考えられるのは、患者の描写を一度リセットしてオリジナルに持っていくためであろう。各話に患者が登場するという医療系ドラマの基本スタイルに持ち込むためには、原作よりも患者の数を増やす必要がある。またそうした枝葉の部分から主人公のストーリーという大幹に行き渡る養分は分散させなければならず、それはオリジナルで作り込んだ方が組み立てやすい。なにより、原作の第2章に登場する結合性双生児の描写は実写ドラマでは難しいということもあるだろう。 原作では主人公が星嶺医科大学付属病院で働き始めて数日が経過したところから物語が始まっていたが、ドラマでは勤務初日からスタートする。これは周辺の人物紹介であったり、仕事内容などを視聴者に不自然にならずに説明するための基本的な脚色だ。澪に“医療オタク”というキャラクター性が付与されている点は、当然彼女の“過去”の部分への視聴者の過度な詮索をある程度防ぐ役割を果たすと同時に、かじった知識を饒舌に喋り出すというオタクのステレオタイプ的描写によって彼女の頭のなかで組み立てられた推理をナチュラルに表出させることもできる。 そしてドラマとして気になるのは、澪と竜崎の関係性をどのように捌いていくのかという点だ。医療オタクの澪が竜崎に強い尊敬と憧れを抱き、彼が人間的にかなり奇特な人物と知ってショックを受け、さらになぜか隣室に住んでいるという一連は、ラブコメ作品の王道である“最悪の出会い”そのものである。もちろん隣に住んでいる点と変わり者という点は原作から引き継がれた部分であり、医療行為以外はまるでダメ人間である竜崎の行動や発言が、時にクールでもあり時にユーモアを放つという点もきちんとこのドラマ版へ持ち込まれている。 そのため、原作ではほとんどユーモラスさがなかった反面、ドラマでは“お仕事ドラマ”の主人公としてユーモラスさが存分に与えられている澪との相性は、原作以上に良く見える。自ずと竜崎の変人ぶりも強固になっていくように感じ、それが終盤に原作に即した展開に持ち込まれた時にどのように作用するのかは注目しておきたいところだ。脚本を担当したオークラは、これまで数多くのバラエティ番組を手掛けてきた敏腕放送作家であり、ドラマの脚本家としてはコメディ要素が排された2021年の『ドラゴン桜』(TBS系)が代表作。今回はコメディ性とシリアス性の共存が求められる。その手腕が試される場としてはもってこいの作品であろう。
久保田和馬