屈辱のバック宙ホームインは「見えなかった」 “第8戦”で二刀流の活躍も…逃したMVP
金石昭人氏は1986年に12勝で優勝に貢献…日本Sでは第4戦と“第8戦”に先発
“史上初の大一番”で大魚を逸した。広島、日本ハム、巨人のプロ20年間で72勝80セーブをマークした野球解説者の金石昭人氏は、日本シリーズ史上初めて第8戦までもつれ込んだ1986年、最終戦で広島の先発を任された。「第8戦があるなんてあり得ない。というか、僕が8試合目に投げるなんてあり得ないですよ」。歴史的なマウンドを振り返った。 【実際の様子】語り継がれる名シーン…秋山幸二が披露した「バック宙ホームイン」 金石氏はプロ8年目のこの年、「投手王国」と称された広島の先発ローテーションの柱として存在感を示した。自身初の2桁となる12勝を挙げ、防御率2.68はエース北別府学に次ぐリーグ2位。チームを優勝へと牽引した。 日本シリーズの相手は西武。PL学園の後輩、清原和博内野手のデビューイヤーで、広島は「ミスター赤ヘル」こと山本浩二外野手がこのシリーズ限りでの現役引退の意思を示していた。新旧の4番が注目された対決だった。「あの年は12勝したから、シリーズで1試合は先発するだろうとは思っていました」。 広島市民球場で開幕した初戦は、4時間32分の激闘で延長14回ドロー。そこからカープは3連勝で、一気に日本一にリーチをかけた。金石氏は第4戦に先発した。自ら先制タイムリーを放ち、白星こそ付かなかったものの8回途中まで1失点。「松沼兄やん(博久投手)からヒットを打ったんですよ」。バットの感触を覚えている程に投打とも会心の内容で、王手に貢献した。 日本シリーズは7戦4勝制。先に4試合勝てばいい。「4戦目に投げたので(登板間隔から)もう回ってこない。もうシーズンオフだと考えてました。ましてや王手。あと1つ勝てば終わり。もう自分の役目は終えた、と」。日本一は目前。金石氏は、充実した1年の心地よい疲れを癒すだけと信じ込んでいた。 ところが、突如として目覚めた獅子の逆襲に遭う。よもやの3連敗。「1つ負ける、2つ負ける……。そして3つ負けた。流れって怖いです。止められない」。それまでなかった“第8戦”が行われることになった。広島の連敗が進む中、金石氏の頭の中はチームの投手の陣容でいっぱい。「わー、ピッチャーいないよ。どうすんだ? 先発の頭数を計算してみると……。俺、もう1回投げんのかな? 頼むから勝ってくれ。もう1勝で終わるのに」。