後絶たぬ子供の犯罪被害 「社会の宝」七五三に願う 書く書く鹿じか
数年前、北海道の実家に住む姉から「たんすを整理していたら、こんなものが出てきた」と、七五三の着物が送られてきた。背中に勇ましい武者絵が描かれた羽織と袴(はかま)である。長くしまい込んだままだったので、色あせて、ちょっとかび臭い。広げると、70年近くも前の幼い日の記憶がよみがえった。 【表でみる】男をめぐる事故の事件の経過 「未解決の恐怖」続いた住民 当時は数え年で七五三を祝った。僕と姉、妹は2歳ずつ離れて、ちょうど七五三だった。神社にお参りし、写真館に頼んで記念写真を撮影してもらった。小雪がちらつく日で、散髪したばかりの丸刈りのクリクリ頭に薄い着物では寒くて、早く家に帰りたかった。 七五三は平安時代に宮中で行われていた「髪置き」「袴着」「帯解き」の儀式に由来するとされる。髪置きは子供が髪を伸ばし始める3歳の節目に、糸で作った綿白髪(わたしらが)を頭に乗せて、髪が白くなるまでの長寿を祈願する。袴着は初めて袴をつける時に碁盤の上で吉方を向いて行う。5歳の男児の儀式として定着した。帯解きは7歳で子供の着物から帯を用いる大人の着物に替え、大きくなった証しとして祝った。 徳川5代将軍綱吉が天和元年11月15日に、息子の徳松の健康を願って江戸の鎮守の日枝神社に参拝したことから、七五三が年中行事として庶民にも広まった。当時は医療が進んでおらず、乳幼児の死亡率が高かった。 「七つ前は神の内」という言葉がある。民俗学者の柳田国男が「先祖の話」で小児の生まれ変わりの信仰や風習を紹介し、「七歳までの子供は神だという諺(ことわざ)が、今もほぼ全国で行われている」と書いているが、幼い子供はいつ神の元に帰ってしまうかわからない存在だった。言い換えれば、七五三の年齢まで育てるのは並大抵のことではなかったのである。 平成19(2007)年10月、兵庫県加古川市で、小学2年の女児が自宅前で何者かに胸などを刃物で刺されて死亡した。女児は7歳だった。 16年に岡山県津山市で起きた小学3年女児刺殺事件で無期懲役判決が確定して服役していた男(45)が、女児殺害への関与をほのめかす供述を始めた。男は兵庫県たつの市でも18年、帰宅途中の小学4年の女児を刃物で刺して重傷を負わせた犯行を認めている。確定判決によれば、動機は「女の子が苦しむ姿が見たかったから」という。獲物を狙って悪魔が徘徊(はいかい)していたのだ。 非道な犯罪だけでなく、家庭での児童虐待やネグレクト(育児放棄)なども一向になくならない。むしろ相談件数は増え続け、深刻化している。11月は児童虐待防止推進月間である。
この週末に5歳になった孫の七五三詣りに出かける。孫の健やかな成長と合わせて「子供は社会の宝」を祈願したい。(元特別記者 鹿間孝一)