「カナダのワイン発祥の地」ノバスコシアで美酒に酔い食い倒れる
潮時という言葉が相応しい旅だった。ついにカナダ東岸に到達したのだ。訪れたのはノバスコシア州。 【画像】ノバスコシアが誇るワインと美食 今回の旅のテーマは、「カナダのワイン発祥の地ノバスコシア」だ。 安心してほしい。これは、カナダ人の大半も知らないことだから……。ましてや大方の日本の読者諸氏にしてみれば、「カナダのワイン?」「そもそも、ノバスコシアってどこ?」という話だろう。 ノバスコシア州は、大西洋に突き出たノバスコシア半島とケープブレトン島からなっている。今回巡ったのは半島のほうだ。 この地理が、ワイン造りと深く関係している。半島の西岸は、干満の差が世界最大とされるファンディ湾だ。干潮と満潮は1日に2度ずつある。この絶えざる潮の満ち引きのおかげで湾岸がほどよく暖められ、気候や気温を外海沿いより穏やかに保ってくれるのだ。
なぜ「カナダのワイン発祥の地」?
それを知ってか、フランスの入植地ポート・ロワイヤルの薬剤師だったルイ・エベールは1611年、ポート・ロワイヤルから40キロほど離れたベアー川をカヌーで遡上し、渓谷の中腹にぶどう園を作ったという。ちなみにベアー川も感潮河川であり、したがって干満がある。 物の本によれば、エベールはわざわざフランスからぶどうの苗木を持ってきて、それをカヌーに積んだというから、フランス人のワインへの思い入れは半端でない。 記録として残っている限りでは、のちにカナダと呼ばれる地にヨーロッパのぶどうが初めて植えられた場所が、このベアー川岸なのだ。 ノバスコシア南岸のプティ・リヴィエールでも1633年にぶどう園が作られた記録が残っている。したがって、ノバスコシアは「新世界」のワイン生産地としては最古のひとつになると、ノバスコシア州観光局のパム・ワンバックは説明する。 ちなみに、「のちにカナダと呼ばれる地」には、何千年も前から多種多様な先住民が暮らしていた。飢えや病気に苦しんだ初期のフランス系入植者たちは、この地域の先住民であるミクマク族に命を助けられたそうだ。エベールもミクマク族から教えてもらった薬草などを入植地で栽培したという。 さて、カナダのワインといえば、オンタリオ州とブリティッシュ・コロンビア州が二大生産地だ。だが、ベアー川岸では前者より200年、後者より250年近くも前にワイン造りが始められたことになる。だから、「カナダのワイン発祥の地はノバスコシアだ」というわけである。 では、この地で1611年から400年以上もワイン造りが続けられてきたのかといえば、そうではない。仏英の領有権争いがあり、フランス系入植者(アカディア人)がその後、南方に強制移住させられた複雑な歴史がある。 ラテン語で「新しいスコットランド」を意味するノバスコシアという地名も、その歴史を反映している。それまで、この一帯はアカディアと呼ばれていた。この辺りの歴史は、国定史跡で世界遺産でもあるグラン・プレで知ることができる。 こうした悲喜こもごもの歴史を踏まえたうえで飲むワインはひと味違う気がするのは、私だけだろうか。