勅子の墓をきれいに 厚狭高定時制最後の卒業生【山陽小野田】
厚狭高定時制(和泉屋紀之校長)の商業科3、4年生3人が14日、同校の前身となる船木女児小学を創設した毛利勅子(ときこ)が眠る洞玄寺(江澤正思住職、郡)の墓所を清掃した。定時制は今春で廃止されるため、3人は最後の卒業生。ほうきなどを持つ手に感謝の気持ちを込めた。 船木女児小学は1873(明治6)年に開校。女学校としては国内で3番目に古く勅子は日本初の女性校長といわれている。その後、船木女学校、徳基学舎、徳基高等女学校、厚狭高と変遷し、1908年の徳基高等女学校時に現南校舎の地に移転した。定時制は48年に設置された。 3人と教職員4人の7人が厚狭毛利家の菩提(ぼだい)寺である同寺を訪れ、本堂の裏山にある墓所を清掃。墓の周りに散乱した枯れ葉をほうきで掃き、汚れた墓石は布巾で水拭きした。 備えた花は、徳基高等女学校が移転する際に記念植樹されたヒマラヤスギと日本古来のオガタマノキ。ヒマラヤスギは外来種で、西洋の文化を取り入れ近代化していく文明開化の精神を託して植えられたという。北校舎で咲く紅白の梅も添え、みんなで墓前に手を合わせた。 卒業後は宇部市の製造現場で働くという岡山勝一さん(4年)は「4年間いろいろ大変なこともあったが、何とか頑張れた。最後に毛利勅子さんへの感謝の気持ちを込めて掃除させてもらった」と話した。 江澤住職は「勅子さんもお墓の中で喜んでいると思う。南校舎で学んだことを誇りに人生を頑張って」とエールを送った。