仙台本拠地のマルハン野球部 館山昌平初代監督インタビュー「東北の野球熱を広げていきたい」
全国でパチンコホールを中心に総合エンターテイメント事業を展開する株式会社マルハンは2月、宮城県仙台市を本拠地として「マルハン北日本カンパニー硬式野球部」を発足。25年春から公式戦に臨み、5年以内の日本一を目指している。初代監督となった元ヤクルト投手の館山昌平氏(43)がこのほど「とうほく報知」のインタビューに応じた。現役引退後は楽天やBC福島などで投手コーチを務めた新監督が、東北の地でチームを率いる思いや、東日本大震災をきっかけに強まった思いを聞いた。(取材・構成=秋元 萌佳) アマチュア野球界での指導、そして監督業も初となる館山氏。楽天、BC福島でのコーチ時代に慣れ親しんだ土地での新たな挑戦が始まる。 「次はプロと違ったステージで底辺拡大や次の世代を育てるということに力を入れていきたいと思っていたところで最高のオファーを頂いて、期待感の方が大きいです。監督とコーチではできることも違いますし、やってみたいことや、こんなチームをつくりたいなとか、自分なりにいろいろと考え中です」 東北地方で企業チームが発足するのは、2012年のトヨタ自動車東日本(岩手)以来12年ぶりとなる。東北に移り住み、プロの世界で過ごす中で感じた東北の野球界の現状や環境を分析した上で、マルハン野球部の存在価値について語る。 「風や雪など自然の問題もあると言われ続けてきたと思うけれど、仙台育英が甲子園で優勝した時の盛り上がりなど、野球熱は非常に強い土地だと思う。でも、その次のステージでは球団数や社会人チームがグッと減ってしまうというのは事実。マルハンというチームを起点に、地域を取り込みながらいろいろな所に野球熱が広がっていけばいいなと思う。例えばの理想像ですが、グラウンドはチームが使用していない時には一般の方も使える場所にしたりするのも一つの手。さらに野球熱を盛り上げる存在になりたいと思う」 神奈川で生まれ、現役時代も東京を拠点に活躍してきた。引退後に東北とのつながりが強くなったきっかけには、11年の東日本大震災時の思いがあった。 「当時はプレーヤーで、義援金などを送って、できることをしてきたつもりでいました。でも、実際住んで、岩手の震災遺構や福島の原発周りに足を運んでみて、知らないことが多すぎて、どこかでやった気になっていた自分が許せなくて、知らなかったことが悔しかった。だからこそ、何か力になれないかと。東北が盛り上がれば、誰かが行ってみようと思うだろうし、地元の人は帰ってみようになるかもしれない。そういったところで、少しでも力になれたらなと常に思っています」 楽天、BC福島時代を含めると「5年目」となる東北での生活。人の温かさに触れることも多かった。 「外から来た人間という言い方が正しいか分からないけれど、そんな人にも本当に優しい方がすごく多い土地だなと感じます。いろいろな所に『行きつけ』ができる。今回の監督就任が発表された後も『ご飯食べよう』とか『髪切りに来てよ』とか一気に連絡が来て。いろいろな方が応援してくれて、ありがたい限りです」 2月の第1回セレクションには80人が参加。6月には東北地方で第2回目を予定している。チームは目標として27年度には都市対抗か日本選手権で4強、29年度にはいずれかの大会で優勝と大きな目標を掲げた。 「やるからには本気なんだと分かってもらいたかった。歴史のあるチームからすると、新米監督が何言ってるんだと思われるかもしれないですけど(笑い)。その先を目指す選手のモチベーションのためにも(公式戦に)出て満足ではなく、社会人チームが100近くなってきた中でもトップクラスのチームをつくるんだという気持ちです。社会人チームとして、社業との両立をしっかりできる、応援してもらえるチームにしていきたい」 ◆館山 昌平(たてやま・しょうへい)1981年3月17日、神奈川県厚木市生まれ、43歳。日大から02年ドラフト3位でヤクルトへ入団した。09年に16勝を挙げて最多勝に輝いた。19年に引退後、20年から2年間、楽天で2軍投手コーチ、22年から23年までBC福島で投手コーチを務めた。通算成績は279試合に登板し85勝68敗10セーブ、防御率3.32。
報知新聞社