【プレイバック’04】「今日はオフなんやッ!」仁王立ちで本誌に激怒…清原和博が漏らした〝本音〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年3月12日号掲載の「清原和博が激白した『堀内監督との確執、引退』」をお届けする。 【恐怖画像】「写真をとるなッ!」……鬼の形相で本誌カメラマンを指差す清原 当時、巨人で〝球界の番長〟として唯一無二の存在感を示していた清原和博(当時36)。彼を宮崎キャンプで直撃取材した記事だ。発端は来シーズンの抱負を聞こうと清原を待っていた本誌の取材車両に対して、彼が怒鳴りつけてきたことだった──。 ◆怯える記者とカメラマンを睨みつけて…… 《「なんや! 今日はオフなんやッ!」 こッ、こわーっ! 巨人の番長、清原 和博は、本誌取材班の車の前に仁王立ちすると、大声でガナリたてた──。 巨人の宮崎キャンプが完全休養日だった2月23日の朝10時過ぎ、宿舎から現れた清原は迎えのベンツに乗り込むと、近くのホテルへと向かった。到着後、そのままエントランスへ、と思いきや、クルリと踵を返すと、本誌記者のもとへスタスタ……。すっかりビビる記者を冒頭のように怒鳴りつけたのである》 だが、いったんは立ち去りかけた清原が、恐怖のあまり固まっていた本誌にかけた言葉は意外なものだった。 《休養日くらいゆっくりさせてくれへんか。ホンマ言うて、オレもプレッシャーやねん。ていうか、エエ気せんから。それにプライベートやからな》 顔つきは怖かったが、口調はさっきよりずっと優しくなっていたようだ。おそるおそる本誌が質問をすると、次第に笑顔ものぞかせながら取材に応じてくれたのだった。 《――今日の予定は? 「オレも休みにコンビニ行ったり、好きな本とか普通に買いたいしな。見たいビデオ買うたりしたいのわかるやろ? そうでもせんと、ずっとあそこ(宿舎)におったら、息がつまってしまうからな」 ――それでも、二軍とは違いますか?? 「そら、(一軍と二軍の宿舎は)天と地ぐらい違うわ。二軍の部屋はすきま風がピューピュー入ってくるしな。けど、そういう経験が自分にとっては良かったわ」》 このシーズンから就任した堀内恒夫監督(当時56)によって、清原はキャンプスタート時から二軍に降格、一軍が暖かいグアムでキャンプしていた2月前半、彼は寒風吹きすさぶ宮崎で練習していたのだった。それ以前から2人は〝犬猿の仲〟だと言われており、一軍合流後も清原は堀内監督から注意を受けたと報じられていた。このことについては次のように語っていた。 《あれは注意ってこともないけどな。『もうちょっとオマエが(若い選手に声を出して)言わなアカンで』と言われただけやな。(堀内監督になっても)オレ自身は何も変わらんし、監督が替わったからいうて、変わるような選手ではアカンやろ》 また、このとき清原は自らの引退についても語っていた。 《オレも今年37やけどな、40までやるとかいうのはまだ見えてへんなあ。今は一年やって、また一年やるということしか考えてないわ。ただ、野球選手やったら、自分のプレーをわが子に覚えててほしいいう気持ちは、あるんと違いますか》 《昨夜はあんまり寝てへんのやろ?? まあ自分らもゆっくり休んでや。ほな、な》 そんな言葉を最後に残して、清原は笑顔で手を振って去って行ったのだった。 だが、シーズン開幕後も清原はベンチを温めることが多かった。6月には2000本安打を達成したものの、骨折で長期離脱したために’04年シーズンは40試合の出場にとどまった。オフには堀内監督の戦力構想外となり、トレードに出されそうになった清原が滝鼻卓雄オーナーに直談判するという騒動もあった。 残留が決まった際に「泥水をすする覚悟でプレーをしたい」と下半身強化などにも取り組んで臨んだ’05年シーズンも最終的にはパッとせずに終わる。チームの成績も5位となり、堀内監督は辞任、清原も戦力外通告を受けてオリックスに移籍することとなったのだ。
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