中山秀征が振り返る若手時代の苦悩「ダウンタウンやウンナンの波に飲まれるしかなかった」
“第3世代”と呼ばれる芸人がどんどん席捲
ABブラザーズもスタートはトントン拍子だったんです。いきなり小堺一機さんがやっている『ライオンのいただきます』(フジテレビ系)に抜擢されて、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送系)では最年少パーソナリティ(当時)として4時間も枠をもらって……。 ところが、その頃からダウンタウンやウッチャンナンチャンを中心とした“第3世代”と呼ばれる芸人がどんどん席捲してくるわけですね。僕たちは、その大きな波にただただ飲まれるしかなかった。明確に覚えているのは『お笑いベストヒット』(TBS系)というランキング形式のお笑い番組があって、僕らABブラザーズはすでに名前が売れていたから上位で登場するんですね。それが日を追うごとにウッチャンナンチャンとかB21スペシャルに抜かれていくわけですよ。自分たちのお客さんが取られていくのをボーッと眺めるしかなくて。 その頃の僕たちときたらテレビでのタレント活動が忙しくなっていて、ネタを作る時間もなければライブもやっていなかった。敵うわけがないんですよ。それで僕はマネージャーに懇願したんです。「もう一度、ここでビシッとネタを作らせてほしい。お笑いで勝負したいんです」って。そうしたらマネージャーは「いや、負けを認めろ」と言ってきました。僕たちにお笑いをやれと言い出したのは、そのマネージャーなんですよ? それなのに今度は辞めろというんだから、さすがに唖然としましたけど。 でも冷静に考えると、たしかにそれは一理あるんです。だって中山秀征はもともと芸人志望だったわけでもないし、幼少期からの長い付き合いのなかでお笑いをやってきたダウンダウンとかとは志が違うわけじゃないですか。僕は歌手や俳優の道にすすめなくて、背水の陣で挑んだのがお笑いで、しかも、相方も本当は作家になりたいという気持ちがある。もうこれは勝負にならないですよ。 番組内のランキングが下がったことで「犬死したくねぇ!」とムキになっていた部分があったけど、そもそも自分はお笑いのフィールドで戦う人間じゃなかったなと気づいたわけです。 【2】中山秀征が語る関西芸人とテレビタレント、10年ぶりに会った今田耕司から言われた“告白”は下の関連記事からご覧ください。
小野田 衛