レスリング「金」文田健一郎、自分の父親だが「いい指導者に巡り合えた」…妻に救われ「メダル割ってあげなきゃな」
パリ五輪・レスリング男子グレコローマン60キロ級で悲願の金メダルを獲得した韮崎市出身の文田健一郎選手(28)(ミキハウス)が、読売新聞のインタビューに応じた。パリ五輪を振り返るとともに、支えてくれた家族への思い、今後の展望などについて語った。(聞き手 涌井統矢)
――金メダルを手にした時の思いは?
うれしい気持ちよりもほっとした気持ちの方が大きかった。(銀メダルだった)東京五輪の悔しさを悔しいままで終わらせない、絶対にいかすという思いで戦った大会だったので、東京からの3年が価値のあるものだったと証明できた。
――山梨からの応援は届いていた?
パブリックビューイング(PV)の様子もメディアを通じて伝わっていた。平日のすごく遅い時間だったのに、こっちが心配になってしまうぐらいたくさんの方に応援してもらい、力になった。
――夢をかなえて地元への凱旋(がいせん)。
東京で銀メダルを取った後もたくさんの祝福をいただいたが、『本当は金メダルを見せたかったし、みなさんも本当は金メダルを見たいって思ってるんでしょ』みたいにひねくれていた。金メダルを取れたことで、祝福を素直に受け止められるようになって、世界を見る自分の目が変わった。素直に感謝を伝えられる安心感があり、すごくうれしい。
――韮崎工業高校レスリング部から2人目の金メダリスト。
フリー、グレコローマン両方で金メダリストを出した高校は聞いたことがない。OBの方々がよく練習に来てくれて、毎日が出稽古のような環境。今回の優勝で、韮崎工業高校のレスリングを世界に証明できた。
――高校時代の監督でもある父・敏郎さんに伝えたいことは?
『おとんのレスリングが世界一』という証明が、これでしっかりできたよと伝えたい。世界選手権で優勝しても、東京五輪で2番になっても伝えられなかった。米満先輩(ロンドン五輪レスリング男子フリースタイル66キロ級優勝の米満達弘さん)と合わせて二つの金メダル。自分の父親だが、いい指導者に巡り合えた。