31歳で現役引退、時給850円で洋菓子作りの修業…元広島投手(51)が代官山でパティシエとしてカフェオーナーになるまで
「元プロ野球選手」という肩書きは、何の役にも立たない
キルフェボンでの修業時代について、小林が振り返る。 「おそらく多くの人が誤解していると思うんですけど、タルトに関して言えば、まず土台作りを覚えてしまえば、あとは上に載せるフルーツを変えるだけで何種類も作れるようになるって思うじゃないですか。でも、キルフェボンのタルトはフルーツによって土台となる層が一つ、一つ違うんです。生地も違えば、クリームも違う。だから覚えることはたくさんありました」 それでも、小林は前向きだった。「せっかくの機会だから、学べるものはすべて学ぼう」という貪欲さがあった。 「キルフェボンのいいところは、3年働いている人も、今日入ったばかりの人も同じ作業を任せられるんです。もちろん、ベテランならば1時間で20個作れるけど、新人は1時間で2個かもしれない。それでも同じ作業を経験できる。でも、僕にとっては、とにかく頑張れば身につくのは早いわけで、とにかくやってやろうという気持ちになりました」 プロ野球の世界では年齢が立場に大きく影響した。自分よりも年長か、それとも年少なのか? それで上下関係が決まっていた。けれども、一般社会ではその常識は通じなかった。 「当時、20歳そこそこの女性たちと仕事をしていたけど、若い子に普通に怒られていました(笑)。野球時代の感覚からすると、“オレの方が年上だぞ”って思うんですけど、もちろん、そんなことは通用しません。会社の人は、僕が元プロ野球選手だということは知っていました。でも、別にボールを投げるわけじゃないんだから、この場ではそれは何も役に立たない。とにかく、早いうちに学べたのはよかったと思います」 時給850円。経済的には決して恵まれていたわけではなかったけれど、この期間に小林は多くのことを学んだ。キルフェボンでの修業期間は5年近く続いた。仕事に慣れてくると、「パスタ作りも学びたい」という意欲が芽生え、イタリアンカフェでのアルバイトを掛け持ちすることに決めた。こうして、少しずつ、少しずつ、自分の店をスタートさせるための足がかりが築かれていった。