かまいたち濱家は「薬剤師発言」で批判されるも鎮火 薬局での出来事から始まる哲学とは
「薬剤師の心得として大事なのは何ですか?」
帰りぎわに聞いてみた。「薬剤師の心得として大事なのは何ですか?」すると彼女、少し考えてからこう言った。「何ごとも鵜呑(うの)みにしないことです。書かれていること、言われたこと、それを一度自分の頭でフィードバックさせなくてはなりません」 これにはたまげた。言うことなしである。近ごろの若者は覇気がなくなったとか、やる気がないとか言われることが多いが、こういう人もいるのだ。 周知のように、「鵜呑み」とは鵜という鳥が魚を丸呑みすることをいう。その鵜のように、言われたことを咀嚼しないで呑み込んでしまうことを「鵜呑みにする」という。「鵜呑みにするな」とは、言われたことを自分の頭で考えて理解してから行動しろということだ。あの若き薬剤師は、まさにそのことを言ったのである。 一般に薬剤師の仕事は医師の処方箋を見て、その通りに薬を選んで患者に出すことだと思われている。しかし、薬剤師のほんとうの相手は医師ではなく、薬を必要とする患者なのである。薬は健康のためのもの、病を治癒するためのもの。命に関わる。 医師の薬剤についての知識は薬剤師ほどのものではない。薬剤師の方が薬の効き目や副作用などをよく知っているはずだ。そういうわけだから、薬剤師は医師の処方箋を鵜呑みにしてはならない。一度自分の頭で整理し、医師の指定する薬剤が患者にどのような効果と副作用を及ぼし得るのかを考えるプロセスが必要だ。行きつけの薬局の彼女は、それを「フィードバック」と呼んでいる。 「フィードバック」とは日本語でいう「反芻(はんすう)」である。反芻とは牛などが一度食べたものを口に戻してもう一度食べ、そうすることで消化することを意味する。つまり、先の「鵜呑み」の逆である。
フィードバックをもとに試行錯誤してみる
フィードバックという言葉は前々からあったようだが、これをシステム工学のコンセプトにしたのはサイバネティックスで知られるウィーナーである。サイバネティックスとは生物にも機械にも応用できるシステムのことで、それによれば、システムは外部から受けとった情報にそのまま応じて作動するのではなく、情報をフィードバックすることによって自身の作動を調整するのだそうだ。 あるいは、まず作動してみてその結果を得て、それを次回の作動に活かすという仕方もある。なるほど、これがなければ機械はまともにはたらかないし、生物は環境に適応して生き延びることはできない。 ウィーナーの功績はこのシステムの考え方を数学的に根拠づけたことにある。これによって物理学と生物学のあいだの距離が縮まっただけでなく、やがて人間社会にもこれが応用され、情報科学やシステム工学さらにはロボット工学の発展に影響を及ぼしたのである。 フィードバックで思い出したのが哲学者の松田純である。ヘーゲル哲学の専門家であるが、ある時から生命科学とか医療の倫理にも目を向けるようになった。学問を世の中に役立てたかったのだろう。この見事な展開を、私は心から賞賛している。 その彼が最近送ってくれた本に『薬学と倫理』がある。彼が監修・執筆したもので、薬剤師はどうあるべきかが説かれてある。その最後に、ガイドラインや規則にただ従うのは「マニュアル的」であって、「倫理的」でないとある。私が考えていたことをぴたりと言い当てていると思った。 以上は薬剤師だけでなく、誰にでも当てはまることだ。現代人に必要な哲学はフィードバックなのである。 *** 薬局での時間をイライラして過ごすか、それともこれもまた何かのヒントと捉えるか。大嶋さんの場合は、これをネタにコラムを1本書けたということになる。
デイリー新潮編集部
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